旅人と三崎港、春

 午後までかかる予定の仕事が午前中に終わった。春の心地よい気候に促され、そのまま車で走った。気がつくと三浦市の三崎港にたどり着いていた。

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 車内でおにぎりを頬張り、朝買って冷めた珈琲の残りをすすった。五月の港の音を録音しながら微風に窓をあけたまますごした。水面のきらめきが眠気をさそう。瞼を閉じて船の音や潮騒、行き交う車や人々の声を聴く。ほとんど夢といっても過言ではないような快感に包まれる。

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 港の周辺をぶらぶらと歩く。烏とトンビの餌取り合戦に立ち止まり、親戚の家に遊びにきたような家系喫茶で座椅子に腰掛けてアイスコーヒーを飲んだ。港の痴話喧嘩を壁越しに耳に挟み、旅行で来たという釣り人と話した。

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 カナダから自分の釣り道具を持参したというケベック出身の彼は、サビキ釣りで鯵を狙い、私は録音機材のTASCAMで船が岸壁のゴムを擦る音を狙った。

「腹減らないか?」

 釣りを切り上げたカナダ人と録音を終えた私の二人で近くの焼き鳥屋さんへ向かった。音は録れたが釣りの方は坊主だった。

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 まだ夕方だが地元民でほぼ満席の店内。いかつい兄貴たちが二人、席を立ち「ちょうど出るところだ」といって席をゆずってくれた。

 ケベックの大きさや寒さ、肉食の文化とあらゆる動物の話。陸のビーバーが危険で、時々人が亡くなること、ムースが馬より大きくなること、日本は鯵が最高にうまいこと、砂肝を英語でなんというのか分からないので「サンドストマック」などとふかしながら過ごした。

 いつかドブ板で飲もうと言って店を後にし、彼と別れた。扉の向こうでは雨が降り始めていた。イヤフォンを耳にはめ録音素材を再生する。港だというのに風防を忘れ、風音が強かった。それでもところどころに鯨の鳴き声のような船の擦れる音、町のざわめきが美しく残っていた。

fine

八ヶ岳の裾野にて

 友達の家の改装を手伝いに山梨は八ヶ岳の裾野へ向かった。旅路の途中、高速道路のパーキングエリアで休憩をした。扉をあけるとそこですら空気がよく、駐車場越しにそびえる山をみながら爽やかな空気を吸った。横須賀から到着すると、空気に塩気がなく湿気が少ないことに驚いた。これが清々しさの理由なのだろう。

 近所には幾筋も小川と呼ぶにはか細いせせらぎがあり、ちょろちょろと水音が響いている。四月終わりの、すこぶる快適な気候の中で作業を始めた。逆側の壁にとりかかっていて、ちょうど見逃してしまったのだけど、真昼間に鹿が五頭、家の脇を跳ねるようにして下って行ったらしい。思えば二十数年ぶりの山梨。急に印象が良くなった。

 友人の家は移住者の多い地域にあるらしく、少し散歩に出ると洒落た家がいくつもみつかる。それぞれにたっぷりと用意された庭があり、眺めて歩くと楽しく気分がいい。窓辺で庭園から差し込む陽光を浴び、読書に勤しむおじさまをみかけた。窓越しに幸せそうな雰囲気が流れていた。

 数日を山梨で過ごした。作業の合間に八ヶ岳や甲斐駒ヶ岳、遠くに富士山までみえる立地は体の疲れを忘れさせた。夕食の支度中に持ってきた録音機材を土手に仕込み、しばらく放置して音を採ることにした。そのまま忘れて小雨が降ってきた。慌てて機材を回収しに走った。

 二日目の朝は早朝に起きて散歩した。むかしから旅の早朝は一人早起きして散歩にでることが好きだった。とある小さな漁港の町へ投宿したときは、小舟で出航していた漁師たちが今朝の収穫を並べる朝市をみつけ毎日通った。共に旅していた友人は「明日はオレもいくよ、」と毎晩いうのだが、早朝になると起こしても中々目覚めないのだった。

 八ヶ岳の裾野に明ける四月の朝。緑に朝露がおり、草原が輝いていた。こんなに美しい景色があるというのに、今回は体が疲れて二日目以降は早朝には起きれなかった。

 休憩どきには家主の天然ボケな面白エピソードを聞き、風呂がまだないので近くの温泉へ浸かった。もどって馬鹿笑いをしながら家主やMが仕込んできたおいしい夕飯を食べ、夜を過ごして朝になった。作業の合間に毎日風景に魅了され、気がつくと夕方になっていた。雲海や綿毛、あるときは草むらから飛び立つ雉をみた。

 最終日は作業を早めに切り上げ、東京にありそうなおちついたカフェで静かに珈琲を飲んだ。雨が滴り落ちていく鉄枠の窓。となりではひとりのお客さんが本を読んでいた。彼にとってのオフシーズンである薪ストーブは、作家ものの器のようなデザインだった。一見とっつきにくい店主が帰り際に「足元気をつけてください」と言った。石畳が濡れていた。駐車場からのびる車の轍。腹をこする真ん中の草。

 渋滞をさけるため、夜まで友人宅で過ごし七時ごろに出発した。道は混んでいなかった。雨足がつよまり、ガラスを行き来するワイパーのリズム。一般道へ出て道を少し間違えた。同乗していたMがまるでこの世の終わりが迫る映画をみているような、不安げな顔つきで布を握りしめていた。「小田原・藤沢」の文字に強く反応するM。やがて見慣れた海岸通りに辿り着いた。

 帰宅後、疲れが抜けるまでに数日必要だった。気分を戻そうと自宅から電車に乗り喫茶店へ向かった。列車内で録音した山梨の音を再生した。イヤフォンから鳥の囀り、虫の羽音、草が擦れる風、せせらぎ、そして降り出した雨の音が流れた。

fine

30分なら15分

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 相方は涙を流していました。オッペンハイマーの二回目です。地元のシネコン会員になったので、平日はいつでも1300円で大作映画が見られます。ということで、四回目の映画鑑賞だということは前回書きました。

 相方は泣いていました。流れた涙の理由など聞くだけやぼですが、「なぜだか分からないけれど涙が出た」と、ボソといいながらハンケチをしまうのでした。人の中には言葉では言い表し難い感情というものがあります。それぞれの人生の中で、体験したことや見聞きしたことなどが積み重なり、個々の地層になっているわけです。そして、ある人は泣き、ある人は微動だにせず、ある人はポップコーンを前歯に挟んだまま一時停止したりするようです。

 相方はオッペンハイマーという映画の刺激によって地層を揺さぶられ、言葉にならない感情の波に泣きました。感受性です。そして映画のエンドロールが終わると言ったのです。

「あなたポップコーン食べすぎよ」

 自分が三分の二以上召し上がっておきながらです。

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 今日、友人のミュージシャンのPV撮影に行ってきました。急に電話があり、「PV撮りたいねんけど、ちょっと打ち合わせできひん?」(関西弁間違ってたらごめんなさい)
 午後なら行けると答え、車を走らせました。いつも停めている格安駐車場は入学式のために満車でした。デニーズのとなり、別のところへ車を移し彼の家へ。

 久しぶりに寒くなった日の午後で、床が冷たかった。

 話を聞くと二十分の曲で、その間に部屋の中で色々するからそれを一発どり、ワンカットで撮影して欲しいといいます。それならいますぐ始めようと答えました。カメラも持参していました。

「え、今日撮るん?いまから?」

そう、今から、こういうのはあんまり考えずにパッとやっちゃたほうがいいんじゃない。そう思う。

「今すぐ?そうはいってもシャワー浴びたり色々準備せな?着替えもせなあかんし」

風呂なんか入らなくていい。着替えはすぐできるでしょ。やるよ。

「ちょっとまってよ、やる、やるから、準備に三十分くれ、三十分」

十五分、十五分で準備しな。

 そういって、iPhoneのタイマーをセット。もちろん彼はシャワーを浴びる時間もなく、バタバタと用意を始め、半ば用意の途中から強引に撮影を開始しました。後から振り返ると、そのバタバタ動画を撮影した方が面白かっただろうね、とオツカレ中華を食べながら語りました。

 帰り道、撮影中からずっと一緒にいて準備も片付けも手伝っていたHちゃんが車の後ろの席からいいました。

「あ、花火」

 フロントガラスの向こう、マンションと山のあちら側で打ち上げ花火が上がっていました。木々と建物の遮る視界に、半分ほど欠けた光が赤や緑に夜空を染めました。

「きれいだね」

 車窓の桜にもそういったHちゃんが発進する車に寂しそうにもう一度そう言いました。最寄りの通りで車を停め、荷物をおろしました。Hちゃんは車が見えなくなるまで多分手を振っていました。

 坂を下っていくと近所の人が不意に始まった季節外れの花火を、つっかけサンダルで見終え、玄関へ戻っていくところでした。くたびれたTシャツと、息子の履き古したジャージを切って作ったような半ズボンが光の中に消えていきました。

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