ほとんど全ては忘れてしまうことが分かって

多くの人が日記をつけていた。

 

紙に、その数日の出来事や感じた事柄、印象などを書きとめる。

日記は書いてもいいけれど、つけるほうが似合う。

小説は書くものだから「小説をつける」とは言えない。

同じように論文やメモもつけるわけにはいかないのです。

 

日記をつけるとはなんだろう。

 

あまり深く考えてはいないけれども、忘れるには勿体無い、そういったことを紙の上に貼り付ける行為なのか。

糊でレシートをとめるように?そう言えば確かに帳簿は「つける」という。

帳簿はある期間の入出金や物の出入り、取引を忘れてしまわないように、または後日間違いのないことを他者にも示せるように、「つける」

ということからすれば、日記はある期間の思い出や出来事、思想や印象を忘れてしまわないように、また後日に誰かから問い合わせがあった際に事実誤認なく伝えられるように「つける」のか。

 

実は、今、猛烈に眠たい23時だ。

 

 

早く寝たいのだけれども、これを書き上げてしまわなければと一人信じている。

「書き上げたい」となっているからいけないのかも知れない。このコンピューターで打ち込んだ文字列だって日記のようなものなのだから、もっと「つける」の側へ寄らなくてはいけない。

 

そうだ、もっと軽やかに今日あったことを淡々と糊でとめていこう。

 

 

朝、ゴミを出したあと草の裏にいる虫を探す。

今日はあまり見つけられないので蟻やダンゴムシをしばし観察する。

パソコンの仕事を少しする。

 

 

午後出かける。坂を下っていると下から上ってくる人と目があった。金色と黒のジャージのような上着の見知らぬ男性。そのまますれ違う。

いくつか用事を済ませて、下町の目抜き通りを歩いているとまた先ほどの金色と黒のジャージのような上着の男性とすれ違い、やはり目があった。

「さっき坂を上がって行ったはずなのに、なんでここを通るのだろう?」と思っていると、相手もそんな風な顔をしていた。

喫茶店へ寄る。たまに会う知人と隣席になった。

この後電車でどこかへ行ったものだろうかと考えている、ということだった。

私は先に出て、本屋へ寄ってから家へ帰る。

 

 

夕方、駅前を家路へと歩いていると、坂の上からパッくん似の知人が降りてきた。

久し振りに会ったので短いながらも立ち止まって挨拶。握手までした。相変わらずの好青年。

そういえば、今朝、軒先きで落ちた蜂の巣に蟻が群がっているのを目撃した。

蟻もよく見れば、お互いがすれ違う時に何か挨拶のような一瞬を過ごしている。

それからすれば、我々が駅前で握手していたのもごく普通のことだと思う。

 

 

家について、買った古本を眺める。ISBNが記載されていなかったのでアマゾンで検索してみると中々高い本らしい。床に寝かせてあったのを立てかけることにした。

 

 

出かける前に冷凍庫から出しておいた挽肉とピーマンを炒めた。ご飯は1.25合炊いた。

サランラップを久し振りに新しく買ったので、古いのを思い切り使った。

ラジオをつけたけれど、邪魔なので直ぐに消した。

座ってタイピングを始めた。

 

 

ここ数日嘘のように寒いので部屋でマフラーを巻いている。ストーブも端にあるけれど頑なに着火しないで過ごす。

少し本を読んだ。大先輩に頂いた本「どこにもないところからの手紙」

間に紙を挟んでしおりとしているけれど、途中で読者カードのようなハガキが出てきて二枚とも挟むことになった。

 

 

眠気と戦いながら再びパソコンを続ける。

 

 

もうそろそろ良いのではないかと思っている。

 

 

2018/05/11

 

 

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