ブックメリーゴーランド

まずは

 

打ち合わせが無事に済んだことを一人で祝うために

 

喫茶店へ

 

今日は珍しくロックがかかっていた。

 

お店を経営するというのはとても大変なこと。毎日シャッターを押し上げ、他人を迎えるために自分の気持ちを用意するだけでも、それは奇跡。

きっと、今日はロックが必要だったのだろう。

ロックは死なないし、日本語も死なない、必要な人が日々移り変わりはするけれど。

 

お茶。

 

本を読みながらタバコを吸う若い男性。

 

壁のシミと室内にある扉のぐずぐず。

 

古書店へ

 

 

外国人作家コーナへたどり着く前からその声は響いていた。

書架で三列に仕切られた店内の一番左側、文庫本のコーナーから流していくのが通例。

海外の作家棚の手前、日本人作家あいうえお順の中程に彼らはいた。

 

かしこまった店ではないので、友人と本を探しながら喋る人がいることもある。

ただ、彼らはその声が余りに大きい。

 

仕事用スーツなのか私服なのか判別しずらいパンツにワイシャツという出で立ち。リュックを抱えた二人。年の頃は三十代前半か。

 

 

「あっ、これこれ、読みましたか?僕まだなんですけどかなり面白そうだなと思ってチェックしてたやつですハイ」

「へー、そうなんだ。なんかタイトルは聞いたことある気がするなぁ」

「そうですそうです、映画化もされてそこそこヒットしたんじゃないですかね、でも僕これ本で読みたいなと思ってそっちは見てないんですけど」

「あ、やっぱりな。絶対聞き覚えあると思ったもん」

「ですよね、主題歌も色んなところで流れてるし」

「そうそう、それで知ってるんだあのバンド結構好きなんだよね」

「歌にも結構本からインスピレーション得ている曲ってあるじゃないですか、カフカからセリフひっぱったりとか」

「カフカか、あんまり読んでないんだよな〜、王道過ぎてさ、面白い?」

「いや、いや、いいですよ。僕もまだちゃんとは読んでいないんですが、変身って有名なやつなんか、主人公毒虫に変わっちゃいますからね。朝起きたら毒虫なんですよ。ありえなくないですか先生」

 

どうやら片方は教職に就いているらしい。

聞きたくないのだけれど、慣れて代わり映えのしない古書店の海外文庫棚を眺めているだけでは防ぎようのない音量と勢い。チロっと視線を送ってみるも反応はないのでしかたなく新書コーナーまで足を進め、普段長くは検索しない棚をあえてなぞってみる。

 

岩波新書「モーセ」、どこだか忘れた「釣りの社会学」その他、その他、その他、

 

「あーー、ほらありましたよ変身、変身ってぜったい古本屋にあるんですよね。アメリカってやつも面白そうだ」

「そういえばさ、乙一って読んだ?」

「いや、名前だけは。先生好きなんですか?」

「うん、結構ね〜。となりがほらあの先生だから結構色々貸してくれんのよ」

「あー、そういうことか。でも難しいの多くないですかあの人」

「そうなんだよね、あの先生はさ、人類の叡智ババーンってやつを進めてくるでしょ、だけどそういうのってまだ自分が読む準備できてないっていうか・・なんかこう自分のエンターテイメントとして読みたい本っていうのが優先されて・・」

「わかります!古典とか言われても、なんかこうさっと手がでないっていうか」

「そうなんだよ、だから逆にほらこれ、数学の人が書いた本なんだけど、数学者なんだけど文も書くっていうさ。こういうの以外といいのよ。ほら自分だと言葉にならないもやもやした事柄がさ、あるじゃない。それをこの人がズバっと書いてくれるのね、ぴったりのことをさ。」

「あ、それって、先生もやっぱり数学の理解が深いから読めるっていうのもありますよね」

 

 

なるほど、先生は数学者らしい。

 

 

彼らは文庫棚を進みつつ新書コーナーへと進路をとっているように思えてならない。

 

どんどん追い詰められていく。

写真集や絵本のある通路を超えて、対極にあるハードカバーへと避難する。

しかし、全然タイトルが頭に入ってこないし何を探したいのかも分からない。

 

 

図書館じゃないから別に喋ったっていいけど、あんなに大きな声でしゃべり続けられると流石に集中できない。店員も注意する気はないらしいし、後から来た別のお客さんも一瞥はくれるけれど、今時注意しに行く人も余りいないだろう。

 

 

「え、先生は村上春樹はどう思います?」

「う〜ん・・」

「書評家には結構悪いこと書く人もいるみたいですけど、どうですか?」

「そうだねぇ、ベストセラーというだけで面白いかどうか、っていうとまた違うのかなと思うこともあるけれど」

「あ〜そうですか、そっちですか。春樹さんって実は結構翻訳もしてるじゃないですか。」

「そうなんだ、翻訳家でもあるんだ」

「そうなんですよ。例えばインザライ、あぁキャッチャー・・ええと、ライ麦畑、サリンジャーの有名な、」

「え、あれも翻訳しているの?」

「はい、それからレイモンド・チャンドラーとか、他誰がいたっけな・・、でも好きなんですよ春樹さんの翻訳したのって」

「へ〜、読んでるね。いや結構広く読んでるよね?」

「いや、こないだも単行本でたまたま安く売ってるのがあって。重いけど買っちゃいましたよ。あ、単行本も見ていきます?」

「行こう行こう、探してるやつも二、三冊あるしさ。」

 

 

 

来るのか、単行本にも来るのか。いよいよか。逃場を失ったカニのようにぷくぷくと不安の泡がこみ上げる。

 

 

 

「こういうさ、啓発本なんかも最近結構興味あってさ」

「え、先生こういうのも読むんですか。僕は手に取らないなぁ。うんこういうのは買わなですよ。いや、読んだことはありますよ。バイトしてる時代に。でもこういうのはバイト終わって、床屋で、千円カットの床屋で読むもんで、買いませんね」

「そう、ちょっと興味あるんだよな」

「それより、ダイゴって知ってます?Youtuberの」

「ユーチューバーのダイゴ?何それ知らない」

「めっちゃ面白いです。ぜったい啓発本よりためになります。いや実際面白いですって。見てください、検索したらすぐ出てきますから。色んなジャンルの話あるんで、画面見なくても音として聞いてるだけでも20分とか楽しめるんで」

「そうなんだ、ダイゴね・・あ、吉田修一あった!」

「お〜、吉田修一さん好きですか。いいですよね、パークライフは絶対絶対」

「パークライフな、あれはいいよな、この、橋を渡るは幾らかな?」

「えー、と、ちょっと待ってくださいね・・うわっち、先生二百円っす!」

「二百円?吉田修一が二百えん?」

「やった〜〜これは、掘り出し物じゃないですか?」

「やったな、見つけたな、だからこの店最高だよ。たまに来るといいよなぁ」

 

 

なんだか、恋する二人がメリーゴーランドで次々と回転しながら本を探し、相手の興味を探り、どこまでも笑みを絶やさず回って行くように思えてきた。

 

 

むしろ、間違っていたのはこちらなのではないかと感じるようにさえなっていた。

 

 

都内では私語禁止のブックカフェがあり、図書館ではヒソヒソ声で会話することを暗黙の了解にさせられ、オレンジの明かりが薄暗く灯ったお洒落な古書店では目配せだけで意思疎通を済ませなければならないような風が確かにある。

それは決して悪ではないし歓迎すべきことだけれど、一方で、もしかしたら我々は愛しい人と本を探し、楽しんで次の読書へとつなげていく時間や情報共有を、自分が集中したいという理由の目線や咳払いでもみ消してはいないだろうか。

映画は静かに見るものというルールのようなものが日本にはある。しかし、イタリアの映画館では友人同士が目の前で起こった映画のシーンについて上映中に話し始めたり、恋人同士がセリフを繰り替えしたりする。

それは日本式に見れば迷惑かもしれないけれど、人間同士の本当に大切なことというのは、作品を鑑賞するという行為よりも上位に、隣に一時いる友人や恋人、家族を何よりも大事にするということがありはしないか。

 

だんだんと、彼らが憎くなくなっているから不思議だ。そもそも同じ「本好き」というキーワードで括られた部族であり同士であったはず。テレビばかり見て、読むものと言えば安売り広告とスポーツ新聞の猥雑欄だけとう種族よりも深い部分で繋がっているはずではなかったか。

 

 

タイトルを追えもしない単行本コーナーから顔を上げると、不思議なことに彼らの周りには人が沢山いた。十分前にはあからさまに怪訝な顔をしていたロングスカートの女性も、白髪の老人も、学生らしき人物もそこにいた。

店内全てを足し、十五名ほどと思われるお客さんの内十人はこの列にいて、しかも彼らにより近い場所で本を物色し、聞き耳を立てているようだった。

 

 

いつから鳴っていたのか、店内の有線放送はCharaのスワローテイルバタフライ「あいのうた」

 

 

二人はそれぞれ七、八冊の本を手に持ちながら自然とそれに合わせて鼻歌を始め、輝く瞳で棚を眺めている。

 

わたしは うわのそらで あなたのことを おもいだしたの

そして あいのうたが ひびきだして

わたしは あいのうたで あなたをさがしはじめる

 

 

目の前にはファンタジックなチャイナタウンが広がり、荒れた大地にはためく布と、人のいない国道の情景がごちゃ混ぜになって展開していた。

 

 

「脚立を取らせてください」という店員の声で我に返ると、そこにあの二人の姿は既になかった。

 

 

なぜか手中には、いつ棚から抜いたのか覚えていないレイモン・ラディゲ「肉体の悪魔」新訳版があり、黄色い表紙にフィリップ・ジェラールが微笑んでいた。

 

 

珍しく細めの帯が嫌じゃなかった。

 

 

ぼくらは黙ったままでいた。それこそが幸せの証拠だと思っていた。

ぼくにはふたりが同じ瞬間に同じことを考えているという確信があったので、こんなに近くにいて何か話をすることなど、ばかげたことに思えたのだ。ひとりでいるときに大声をあげるようなものだと。

新訳「肉体の悪魔」

レイモン・ラディゲ著 松本百合子訳  アーティストハウス p.62

 

 

 

 

いつか、無言の喫茶店にも必ず。

 

 

 

 

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