orwell1984

また、暫く書きそびれた。

 

それは多分、いやほとんど暑さのせいだ。

ノートパソコンも暑くなる。冷房のない、扇風機だけの部屋ではとてもキーボードを打つ気にはならない。

 

今日は八月の終盤で、季節の変わり目を予感させるいくつもの小さな変化が、そこかしこに芽吹いている。

たとえばそれは、食べたいものの変化だとか、夕刻を過ぎた窓から入る風の温度だとか、散歩中の大気だとか、ホームセンターで特売になっている水中眼鏡セットの価格などに感じられる。

 

最近読んだ本について

ついに、ジョージ・オーウェルの『1984』を読了した。

これはオーウェルが残した最後の小説で1949年に発表された。

独裁政党の下で生きる党員を描いた当時の未来小説で、主人公を含め、この国の党員はテレスコープなるものに部屋中を監視されている。

部屋で話すこと、会った人、思考していることまで全てを見通され、党の考えと違うことは発言できないし、考えることも禁止されている。

異端者は思考警察によって捕らえられ、簡単に消される。

時代設定は現代のグーグルエコーとかシリー等に声や姿、興味や考えの志向データを取られている状況と非常に似ている。

 

だめだ、書けない。

 

感想は書けない。

いま、猛烈に眠いのです。

頼む許して(誰に?)

まぶたを止めるな!?

ですので、

この続きはまた・・(あるかわからない)

『1984』は拷問のシーンもあるのです。

それは、この眠気を妨害するとかいうレベルじゃない。

もうだめです。

この面前の世界では起きていられない。

 

おやすみなさい

 

 

もう一度読む気は今のところ起きません。

でも、

ジョージ・オーウェルの『パリ・ロンドン放浪記』はとても好きだし(特にパリ編)

スペインの内戦をルポしたあの作品も悪くないし、、

 

ほとんど片目でキーボードを打っています。

 

家人がいうには「白米を食べたから眠いのよ」とのこと。

 

ほんとかな?

白米って睡眠導入作用があるのでしょうか?

今日は金目鯛の煮付けでした。豪華です。とっても美味しくて・・

 

眠い!

 

どうしようもない、あらがえない。

そういえば、キアヌリーブス主演の映画『マトリックス』も新作作るみたいですね。

マトリックスもコントロールされた世界だった。

物語よりも、映像がかっこよかった。

しかし、映像って面白いもので、技術が更新されていくその瞬間はとても印象的で「なんだこの映像は」「どうやって撮ったんだ?」と思うものの、次の新技術、その次の新技術というように次々と新しい映像が発表される。そうするとほとんどの映像は当時より今現在の方がかっこよく思える。

ミッション・インポッシブルや007シリーズなどのアクション映画では特に顕著で、驚くような映像はやはり現在に近い方の作品になる。

一方で、『地獄の黙示録』で受ける映像の印象は全く別で、そのあとのコッポラ作品のどれよりも濃く焼き付いている。これは別の種類の格好良さなのかも知れない。

新しい映像というのは次々書き換えられる。当時新しかった技術や構図だけでは作品の耐用年数が知れているということか。

 

いったい、今、何を書こうとしているのだろう。

 

どこへ行きたいのかさっぱり分からない。

早くお風呂に入って眠ってしまいたい。

べとついた思考と肌を洗い流す必要がある。

 

オーウェルはもう少し早めに読むべきだったのかも知れない。

この作品が示していることは現代に十分危惧される問題を含んでいる。

恐ろしい情報管理社会が迫っている、いや既に始まっているからこそ『1984』は読みにくい。それは既に真っ只中であるからかも知れない。

つまり、この眠気すら打破できないよう思考で革命的な社会変革などどうやって・・

 

 

お昼に、アイスを食べました。

 

 

アイスはとっても冷たくて、夏の暑い時期には欠かせません。

夏は暑いものです。

来年はオリンピックです。

開催に賛成か反対かと問われると、どちらとも言えません。

 

かかる金銭面やその後に残るであろう負の遺産を思えば反対だけど、

一方で、子供の時に見たカール・ルイスやベン・ジョンソンの驚愕する速さ、体操の鞍馬の驚き、空中で何回転も回って着地する超人たちの姿。そういった脅威の身体能力、つまり人間というものの可能性に心をときめかせたことも事実だったからです。

もし、そういうものをまだ見たことがなく、それを一生見れずに過ごすとしたら・・

 

多分、日本はあらゆるものを体験してしまった老齢の国なんだろう。

 

ほとんどのことは知っているか、知っているつもりになっているように感じる。

飢餓感、何かを知りたいという渇望感はどんどん薄れている。

むかし、東京の宿でインドネシアの青年と出会った。

彼の旅の目的は音楽。一人でフジロックに行くのだという。

インドネシアから、青年が、一人で、日本一大きなロックフェスを見てみたいとやってくる。その渇望感。自分の国には足りていないという飢餓感。過去に経験したことがないという欲望。

 

前回の東京オリンピックから五十六年。

ジョージ・オーウェルの没後七十年。

そう、来年は二千二十年だ。

 

風邪をひかないように過ごして下さい。

夏も、暖かいものを時折飲んで下さい。

来年もバナナとヨーグルトが安価に買えますように。

そして、安心しておやすみなさいを。

 

好きな時に好きなだけ眠れる自由を。

好きなことを好きと言える自由を。

それがどれだけありがたいことか、オーウェルは書いたのだった。

 

『1984』(新訳版)ジョージ・オーウェル著 高橋和久訳 早川書房

 

 

 

 

 

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