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コーヒーを淹れる九時半。”よく寝たマイスター”が起きてくる。お湯が少し多かったかもしれない。
桃が二つテーブルに置かれている。午前中から気温が高く、既に暑い。何を書こうか、書こうとしていたことが浮かび切る前に消えていく。湿度の中に、熱気の彼方に。
薄めのコーヒー。飲み過ぎる前に何か食べたい。最近は小麦をやめているので玄米パン。ルバーブのジャムを作ってくれたらしい。瓶がある。紫色に輝いている。窓は開けないことにした。夜に冷えた空気をなるべく外へ出さないほうが涼しのではないか。カーテンも閉めたまま。
よく寝たマイスターは「よく寝た、よく寝た、よく寝たマイスターー」と歌いながら起きてきて、換気扇の下でタバコを吸い終えた。席へつき、薄めのコーヒー。
換気扇が外の熱気を運び入れる。タバコの煙は外へ。
「鳥のコラーゲンとかってやっぱり大事だよ」とよく寝たマイスターがいう。
「不動産買取査定って不動産屋がやるんだって」とよく寝たマイスターがいう。
マイスターがYahoo!ニュースやそこへ現れる広告か何かを眺めながら次々と口にする。
扇風機をつける。パンを焼くグリルを点火する。グリルの調子が悪く二度ほどやり直す。外を大型車が走る振動が伝わる。
薄いコーヒーを飲む。机の上の桃がかわいい。白いふわふわネットから半分だけ顔を出した桃、二つ並んで。後ろには絵の描かれたガラスの空の花瓶がある。
「前のが全部死んで」とよく寝たマイスターがいう。部屋にある頂きものの蘭のことだ。少しずつ前列の花が落ちていく。
「チョウチンアンコウっていう相撲取りがいるの。提灯鮟鱇。頭に大きなコブがあって、きっと頭から飛び込み続けたから腫れ上がってしまったんだわ。お母さんと見たのよテレビで。」
チョウチンアンコウは強いのか尋ねる。
「チョウチンアンコウはね、すごくすごく強いの、っていうか強いっていうか、すごく叩くの、試合の前に自分の体をあちこち。あ、平塚七夕祭りだったのか」
ねぇ、バイデン大統領ってすごく元気だと思わない?と尋ねる。
「なんで?げんきだから?」
もう八十何歳なんだよね。それでさ真夏の酷暑の海岸に行って海パンいっちょで日焼けとかしてるんだよ。相当元気じゃない?それか海辺で育ったのかな、毎年海いかないと体が変とか。
「海軍だったんじゃない?海軍で鍛えててさ、平気みたいな」
そうか、もしかしたらトム・クルーズには負けないぞとか思ってるのかな。トップガンの海岸で走り回るシーンみたいに。そういえばミッション・インポッシブルの新作いつ観に行く?一日にする?混むかな?夏休みだしね、安いけど混むよね。
「こんだら人の横から顔出して観ればいいじゃない」
立ち見みたいに?そういえば、昔は立ち見とか映画でもあったよね?なんか子供の頃に親が連れて行ってくれたインディ・ジョーンズが立ち見だった気がする。通路に座っていたイメージがあるんだけど。
「日比谷公園のサラリーマン、もう暑くて息するのも大変。もわーっとして吸っても空気入ってこないのよ。暑いわー。」
薄いコーヒーはまだたっぷり残っている。
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