よいことがおこるひも

冷房で喉と体の芯まで冷やされた部屋。三浦市出身の人と話した。彼女によれば夏祭りに登場する獅子舞の獅子の髭を抜き、その髭を編んででミサンガのようなものを作り、足首や手首に巻き付ける。しばらく付けっぱなしにしておくと幸運が訪れる。というのが子供の頃にあったそうだ。

同じ部屋に他に二名、合計で四人が会話をしていたのだが、その獅子舞髭のミサンガ話を聞いた瞬間に心はカンボジアに飛んでいた。

もう二十年近く経つのだろうか?記憶だけでははっきり思い出せないが、友人と二人でカンボジアを旅していた。船やバスやトラックの荷台を乗り継ぐ過酷で素晴らしい思い出の旅だったが、とある海岸の町に辿り着きそこでミサンガを編んでもらったことがあった。

当時、出まかせに旅をしていた僕らはその海岸のある町へ夕方に着いた。ガイドブックもないままバスから放り出され、適当な宿に投宿し海へ出た。夕日が迫っていた。薄いピンク色に染まっていく砂浜に座り地元の人が服のまま水浴びするのを眺めたり、泳いだりした。見知らぬ土地での美しい日没。

翌日、簡単な朝食を済ませるとスクーターを一台レンタルし、二人乗りで出発した。いい加減な舗装の道を飛ばし、宿かバスの中で情報を得た綺麗な海岸を目指した。たどり着いた小さな浜には西欧から旅行で来た人々と地元の人が混ざり楽しい雰囲気に満ちていた。砂浜をフルーツの売り子などの行商が行き交い、座っているだけで食べ物や飲み物を手に入れることができた。

スイカだかパパイヤだかをたらふく食べ終えた僕らに、何度目かの営業をかけてきた幼い姉妹がいた。僕らはもう果物でお腹がタプタプだったので親の手伝いをしているらしい彼女たちの営業を断った。大して広くはない浜を往復しながらお客を探す彼女らは、しばらくしてまた僕らのところにきた。果物はいらないと伝えると、「それじゃミサンガを編ませて」とお姉さんの方が言った。

彼女たちの屈託のない笑顔に押されて僕らは日光を浴びながら手首を預けた。友人は足首だったかもしれない。片言の英語で当たり障りのないことを話しながら時間が過ぎていく。繰り返す波音と共に紐が組まれ、ミサンガが編まれていく。出来上がったミサンガは黄色と茶色と緑で、僕の手首にピッタリとくっついていた。「切れるまで付けておくと願いが叶うから」彼女たちがそういったような気もするし、そんなことは言わなかった気もする。

一日海岸で過ごした後、スクーターにまたがり帰路に着いた。気怠い体に風を浴びせながら、のんびりと来た道を走っていった。バイクで帰宅していく地元の人もみんなノーヘルで、車が時折横を追い越していく。それぞれの夕方が始まっていた。しばらく走っていくとバイクが一台横を並走した。それは先ほど海でミサンガを編んでくれた姉妹のバイクで、運転はお父さんがしていた。三人乗りだ。

並走しながら何か言葉と笑顔を交わした。わかれ道で彼女たちは左へ、僕らは右へ進んだ。どこまでも手を振っているような、振っていたいような感情がアクセルを回し、二人乗りのスクーターはスピードを上げた。なびく髪の影の下をアスファルトが一目散に通り過ぎていく。

それから帰国した後もしばらくミサンガを付けっぱなしにしていた。外すには切るか切れてしまうしかなかったし、思い出が詰まっていた。体の一部みたいに何も気にならないくらいずっと付けたまま生活していた。ある時、家族だか友人だかが「臭い!」と言った。「なんか手から変な匂いがしてる」ミサンガだった。濡れたり乾いたりしながら自分の体臭と混ざってそれは強烈に匂いを発しているらしかった。ただ自分だけがその匂いに気付くことができなかった。もっと早く教えてよ、と思いながらその日ミサンガを外してしまった。

何十年も経てば、旅先で出会った人々の顔を正確に思い出すことはできない。しかし、そこで交換した握手や空気や受けとった印象は、時を経て熟成した蜂蜜のように甘い結晶として体の中に色濃く残っている。三浦の獅子舞の髭が、あの時切ってしまったミサンガをもう一度繋げたような気がした。「来月は三浦夜市があるんですよ」という会話の続く向こうで、白い薄手のカーテンが静かな冷房の風に揺れていた。

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