唇が覚えているもの

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夜の雨の乾き切らない湿った道を、工事車両が通り抜ける。「漏水の工事をします」という看板が設置されていたのを思い出す午前8時17分。昨日は曇りで、時々小雨が降った。海岸通りを車で走ると、沖の岩にぶつかる波の飛沫が白く輝いている。海の大半は降雨のためか、いつもよりやや緑を帯びていて静かに濁っている。午後の明るい光を雲が遮り、世界は灰色気味で飛沫の美しさを際立たせる。


坂を下ったところにちょこんとある野菜の直売所を車窓越しに覗くが、今日は何も置いていない。午後の遅い時間ということと、畑の入れ替え時期ということもあるのだろう。そのまま車を走らせて、地元では大手の部類に入る水産会社の店へ向かう。普段は寄らないが、こういう直売所がどこもしまっているようなときにそこへいくと野菜が売っていたりするのだ。卸しでの水産を大きくやっているからか、一般の客を相手にしていないような値付けと質で、魚の方は買う気も起きない。毎回発泡スチロールに入った魚コーナーも見てみるが、濁った目の”鮮魚”が少しばかりあるだけだ。外に陳列された一袋150円、二袋で200円と書かれた茄子と甘長唐辛子、ピーマンを買う。他に芋類が大量に並んでいる。


急に寒くなったので鍋が食べたくなる。知人に頂いた手作りキムチがある。そのまま食べるのが最高に美味しいのだけど、今回はそれを鍋にする。
下拵えをしていると、相方が芋けんぴを食べ始めた。それも気温が下がったからなのだろう。数日前にも一袋買ったはずなのに、それは既になく、水産会社のレジ横にあったものを購入したのだ。それはマックのフライドポテトのようなスティック状ではなく、輪切りにしたポテトチップスのような切り方だった。それをほとんど一人で食べてしまう。何かいけない物質が入っているのではないかと思わせるくらい、芋けんぴを止めることができないらしいのだ。
「砂糖と塩と油、ポテトチップスにお砂糖を振ったようなものね」という。
そして時々思い出したように、こちらの口に一枚それを突っ込んでくる。
「結び方で開けたかどうかわかるからね」と言って、ビニール袋を硬く結び風呂へ行った。そのまま朝まで開けなかった袋を眺めながらノートパソコンのキーボードを打っている。

朝のコーヒーを飲んだ後に相方が芋けんぴの袋を手にする。
「開けたでしょ」
昨晩から全く触れていないビニールに入れた芋けんぴの結び目。
「自分で結んだからわかるんだもん」
芋けんぴに興味がないので、昨日から一度もそのビニールにもチップス状の芋にも触れていない。
「結び方がおかしい、食べたんでしょ?正直に言っていいんですよ」
あなたが口に押し込んできた昨夜の芋けんぴ以外一枚も食べていないことを、その押し込まれた唇で伝える。
芋けんぴには絶対に何かいけないものが入っているのだろう。相方は疑いの眼差しを解かぬまま、一生懸命袋の結び目をチェエックする。そしてついにその袋をあけ、いくつか口へ放り込むと満面の笑みを浮かべている。
「お昼はさ、残ってるジャガイモ揚げていい?フライドポテトが食べたいの」
スマホとタバコ、その横に芋けんぴの袋を置いて放さない相方が秋を告げる。

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