八ヶ岳の裾野にて

 友達の家の改装を手伝いに山梨は八ヶ岳の裾野へ向かった。旅路の途中、高速道路のパーキングエリアで休憩をした。扉をあけるとそこですら空気がよく、駐車場越しにそびえる山をみながら爽やかな空気を吸った。横須賀から到着すると、空気に塩気がなく湿気が少ないことに驚いた。これが清々しさの理由なのだろう。

 近所には幾筋も小川と呼ぶにはか細いせせらぎがあり、ちょろちょろと水音が響いている。四月終わりの、すこぶる快適な気候の中で作業を始めた。逆側の壁にとりかかっていて、ちょうど見逃してしまったのだけど、真昼間に鹿が五頭、家の脇を跳ねるようにして下って行ったらしい。思えば二十数年ぶりの山梨。急に印象が良くなった。

 友人の家は移住者の多い地域にあるらしく、少し散歩に出ると洒落た家がいくつもみつかる。それぞれにたっぷりと用意された庭があり、眺めて歩くと楽しく気分がいい。窓辺で庭園から差し込む陽光を浴び、読書に勤しむおじさまをみかけた。窓越しに幸せそうな雰囲気が流れていた。

 数日を山梨で過ごした。作業の合間に八ヶ岳や甲斐駒ヶ岳、遠くに富士山までみえる立地は体の疲れを忘れさせた。夕食の支度中に持ってきた録音機材を土手に仕込み、しばらく放置して音を採ることにした。そのまま忘れて小雨が降ってきた。慌てて機材を回収しに走った。

 二日目の朝は早朝に起きて散歩した。むかしから旅の早朝は一人早起きして散歩にでることが好きだった。とある小さな漁港の町へ投宿したときは、小舟で出航していた漁師たちが今朝の収穫を並べる朝市をみつけ毎日通った。共に旅していた友人は「明日はオレもいくよ、」と毎晩いうのだが、早朝になると起こしても中々目覚めないのだった。

 八ヶ岳の裾野に明ける四月の朝。緑に朝露がおり、草原が輝いていた。こんなに美しい景色があるというのに、今回は体が疲れて二日目以降は早朝には起きれなかった。

 休憩どきには家主の天然ボケな面白エピソードを聞き、風呂がまだないので近くの温泉へ浸かった。もどって馬鹿笑いをしながら家主やMが仕込んできたおいしい夕飯を食べ、夜を過ごして朝になった。作業の合間に毎日風景に魅了され、気がつくと夕方になっていた。雲海や綿毛、あるときは草むらから飛び立つ雉をみた。

 最終日は作業を早めに切り上げ、東京にありそうなおちついたカフェで静かに珈琲を飲んだ。雨が滴り落ちていく鉄枠の窓。となりではひとりのお客さんが本を読んでいた。彼にとってのオフシーズンである薪ストーブは、作家ものの器のようなデザインだった。一見とっつきにくい店主が帰り際に「足元気をつけてください」と言った。石畳が濡れていた。駐車場からのびる車の轍。腹をこする真ん中の草。

 渋滞をさけるため、夜まで友人宅で過ごし七時ごろに出発した。道は混んでいなかった。雨足がつよまり、ガラスを行き来するワイパーのリズム。一般道へ出て道を少し間違えた。同乗していたMがまるでこの世の終わりが迫る映画をみているような、不安げな顔つきで布を握りしめていた。「小田原・藤沢」の文字に強く反応するM。やがて見慣れた海岸通りに辿り着いた。

 帰宅後、疲れが抜けるまでに数日必要だった。気分を戻そうと自宅から電車に乗り喫茶店へ向かった。列車内で録音した山梨の音を再生した。イヤフォンから鳥の囀り、虫の羽音、草が擦れる風、せせらぎ、そして降り出した雨の音が流れた。

fine

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