日暮れ前の日曜、子供の頃に行き馴染んだ道を歩いた。現在となっては意志を持って向かわねば、けっして通ることのない道。そこを久しぶりに歩いた。
その道は車からすれば裏道であり、当時の子供からすれば、スケートボードに座ってなだらかな坂を下りつつ、大急ぎで門限の前に家へ辿り着くように帰宅する主要道路でもあった。それよりも大切だったのは、友達がその道の延長線上に住んでいたことだった。
五月の終わり、初夏へ向け気温が忙しなく変化する。夕方の五時を過ぎてもまだ外は十二分に明るく、公園では子供の遊ぶ声が響く。車道からそれて、小道へ入り、懐かしいその道へ折れた。すると地面に中途半端な長さのロープにみえる蛇がいた。
子供の頃、近所の生垣で蛇を目撃することは普通だった。ボール遊びをしている最中、たまたまボールが転がった先にゆっくりと這い進む青大将をみた。友達の家の正面にある家の生垣には度々大きな蛇が出たので、子供たちの間ではあの家に住んでいる蛇なのだということになっていた。
蒸し暑い扇風機、濡れて艶のある肌、麦茶と素麺、ゴムの香り、音もなく深い暗闇へ消えていく細長い生き物の記憶。
彼らが昼間の通りへ出てしまい、道路を横断する姿を目撃すると感動に似た気分に包まれる。それはミミズでも同じだし、夜行性のはずの昆虫の一種にも感じる。
なぜ日中に、この目立つ通りへ出てきてしまったのか。どうしても横断しなければならないほどの理由が彼らにあったのだろうか。一歩間違えば、車やバイクに轢かれ、あるいは悪童たちになぶられる危険のあるこの道へ。家路へ、楽園へ。それとも理由のない「今」という発射音を鳴らす号令係が彼らの中にもいるのだろうか。それは頭にパーマー用のカールを巻いたまま、ナイロン性の布を肩に巻いて表へ出てきたおばちゃんを思わせもする。他人には理解の及ばない「今」をそれぞれが抱えている。
日曜の日暮れどきに歩いた道に、かつて幼馴染の家があった。二軒隣には犬が吠える民家があり、その前を通らなければ友達の家には入れなかったので必ずその鳴き声を聞くことになった。二階にある彼の部屋でゲームをしたり、アイスキャンディーを舐めたりした。窓から家と柵の間を行き来する犬を眺めることもあったけれど、大抵は薄暗い部屋の中に二人でいた。
そのあと彼は少し不良になり、今はどこにいるかわからない。
二千二十四年、五月の終わり。まだ明るい小道を横切って生垣へ上がっていった青大将は、そんなに大きくはなかった。それは、あの頃より自分が少しだけ大きくなったからなのか、それとも少しだけ遠くから物事を眺めるようになってしまったのだろうか。
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