温められた潮風に無花果の葉が勢いを増している七月の終わり。
理由を決めずに何かを始めてみるには良さそうな季節。余り熟考すると暑さにやる気も萎えて来て、結局手を出さなくなってしまうけれど、逆に早起きでもすればまだ日の高くないうちは過ごし易い日もあり、湿気さえなければ全ては可能なのではないかという地中海の楽天的な気分を束の間味わうことができる。
その時間に何かを訳もなく始めてみる。例えばこの文はそういう感じで午前に書き始めた。行く先は未だ見えない。
船長に憧れる。
船長というのは行き先を知っているか、または知っているようなそぶりを見せて船員達を安心させたり勇気づけたりするのではないだろうかと思って。
十年以上前に沖縄の石垣島からフェリーに乗って日帰りで西表島へ渡った。高速船は半分浮いたようにして海上を進んだ。到着すると山へ入って行きカヤックに乗った記憶がある。何かの植物の種が水面に矢尻のように突き刺さっていく季節だった。山猫を見たという記憶はない。
カヤックをひとしきり終えると、海岸へ戻った。
帰りの船までにはまだ時間があったので、今度はシュノーケリングをする。今思うと随分活動的だな。体力があったのだろう。
海辺の小さな受付事務所に入ると真っ黒に日焼けした現地の少年がこちらを向いた。彼は色の濃さだけでなく頭髪もくるくるとした天然のくせ毛で、目はぱっちりとして少し緑がかったエキゾチックな顔立ちをしていた。
そしてその奥に一層年期の入った皮膚、皺のよった黒くて分厚い胸板の白髪の主人がいて、受付を済ませると小さなボートへ乗り込んだ。主人は船上で自分の胸元についたバッチを指差して読めという。顔出ちは大方の関東人とは違い、黒い皮膚と白髪が印象的でむしろインドネシアのバリ島よりさらに先へ進んだロンボク島、そこのササック人の古老のような雰囲気がある。
その主人が海の厳しさを物語るかのような真顔でこちらを睨み、胸に付けたバッチを読めという。胸には英語で「captain」と書かれたバッジがあるので恐る恐る声に出して読んでみる。
「きゃ、キャプテン?」
すると、主人は顔を横に振り「NO!」といってそのバッジをぺろっと裏返しにする。裏返した場所には日本語で漢字が二文字書かれていて主人はそれを指差しながら我々に宣言した。
「船長!」
「せんちょう!」そう発言したあとに船長は今までの厳しい顔を解いて、真剣な雰囲気が冗談であったことを明かすように笑った。実に手の込んだやり方だった。ボートの上で爆笑すると同時にエンジンがスタートし船は沖へと出航した。
船長への憧れ。船長はそうでなくちゃいけない。いつでも憧れと畏怖の対象でなければならない。
それで、この文、このブログは一体どこへ向かっているのか。
それは舵の代わりにキーボードを叩く主人にさえも分からないけれど、仮に座礁し、文字に溺れてしまったとしても落ち着いて欲しい。少なくとも呼吸はできることを思い出して。