近場の海へ出掛けて釣りをする。そういう周期がある。しばらく釣り月間のような日々を過ごす。やがて、何をきっかけにというわけでもなく釣りが遠のく。それからずっと、釣りをしない月間がくる。そしてまた何をきっかけにするでもなく竿を握る日々が訪れる。
ちょうど今、久しぶりの釣りブームがきています。
ブームだからといって、今流行りの釣りをするわけではありません。ルアーを新調してロッドを買い替えるとかも一切しません。
では今流行っている私の、私たちだけの釣りを紹介しよう。
まず、使うのはボロ竿です。亡くなった叔父の物置を片付けている時に出てきたものです。だからといってそれを使うことで供養とかそういうつもりも一切ない。ただ、その日に使ってみたら結構壊れていて、それでもその竿で釣りをした、それがそのまま引き続いています。
まず先端のガイドと呼ばれる糸を通す輪っかがない。二番目のガイドから糸が出ます。他の所々のガイドも外れたり、油断していると緩くなって竿を上下に移動したりします。この竿で投げるのは結構神経を使うわけです。先端の輪っかがないので、竿の棒だけが先っちょに余っている。そのせいで糸が竿に絡みやすくなっております。
そして、ウキはたくさん持っているのですが、たまたま海岸を散歩している時に見つけた特大のウキを拾って使うことにしました。多少のオモリをつけても沈まない浮力のある大きなウキ。拳大ほどでしょうか。しかも先端の棒が割れていて、着水するときに鼓を叩いたようなポォンというやや高音寄りの響きを奏でます。うまく投げられたとき、というのは使用する竿やリール、オモリなどによって決まると思われますが、私の今現在の釣行ではこのポォンという音がどれだけ美しく響くかに高得点がつきます。飛距離とか、弧を描く曲線の角度だとか、自分の思っているところに飛ばせただとかは一切ポイントに加算されません。
リールもこの竿には仰々しい大きさです。浜から数十メートル投げるために開発されたリールに思われます。が、リールにもこだわりません。糸が出て、帰りに巻き取れればよい。
さて、いよいよ投げる時がやってきます。いえ、その前に餌の話をしなければなりません。我々が今使っている餌はシラスです。よくスーパーで販売している釜揚げシラスです。食べきれずに冷蔵庫で眠ってしまったものを使うことにしたのが発端です。コスパがめちゃめちゃいいのは一見でわかりますね?ほんの一握りで何匹もいるではないですか。アオイソメや砂イソメは買えばそれだけで五、六百円します。たった一二回の釣行で終わってしまうにも関わらず。そして、シラスの良いところは手が臭くなりません。エビなどと比べれば雲泥の差です。ベタベタもしないし。ただですね、冷凍して持っていくと、最初は程よいのですが数十分もすると溶けて崩れやすくなります。それを丁寧に一本の針に沿わせるように刺して完成です。離れて見ると、餌がついてないのではと思うほど小さな餌。
釣れるので?
そう思われた方がいるのはわかります。しかし、今の私にとって釣れるかどうかということはほとんど意味のないことなのです。
例えば読書をすることに似ています。ハウツーものや自己啓発本ではなく、一つの小説や随筆を読む。その結果、時によってはほんの少し賢くなったり知識や見識が増えることもあるかもしれません。しかし、それは後からついてきたおまけのようなもので、賢くなりたくてその本を選んだわけではないのです。小説を読むそのひととき、作者と重なり合い同化する、あるいは作者の眺めていた景色を追体験することができる。それと同じ気持ちで釣りをしています。ですので、全く釣れなくても悔しくもないし、残念でもありません。ただただ嬉しい。ヘンテコな竿を丁寧に扱い、えいやっと不恰好に投げてウキの着水する音を聞く。大して遠くへ飛ばないそのウキを眺める。小さい当たりでは沈まない大きなウキが流れていく方角を追いかける。あるいはじっとしている姿を。
そうこうしているうちに相方が小魚を釣り上げる。念仏鯛だとかベラだとかカサゴだとか草河豚だとか。釣れたものは持ち帰って食べる。河豚のくうくうという声を聞く。それからタイドプールとも呼ばれる潮が引いて水溜りになったところへぽちゃんと入れておく。でないとまた釣れてハリスを切られても困るから。
時々釣りプロみたいな人がただ魚が糸を引っ張る引味だけを求めて釣りをするらしいが、そんな野蛮なことはしない。
こんな風に釣りに勤しんでいる間に風景が変わり、風が変わり、光が変わる。驚くような光景がすぐ下の浅瀬で起こる。水中の岩陰から大きな魚がのぞいたり、水面を何かが走ったり、得体の知れない奇妙な生物がうようよしていたりする。他の釣り人が来たり、散歩の人が鼻歌を歌ったり、着飾った若い女性がたった一人、ヒールの靴でそんな磯の奥まで何しにいくのかと周囲を不安がらせたりする。それらの一切合切が読書の一行一行のように重なる。地球のこの一角と自分が一体化する。
そして、立ち去る。あらゆる道具を片付け、釣れたならば魚の入ったバケツを持ち、不漁ならばその分の過ごした時間を抱えて帰る。相方と話した他愛のない会話や水面の揺らぎが思い出させた出来事などを満杯にして。
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