友人たちに声をかけてみた
結果、来たのは一人だった。
そもそも、誘う文句に大事な内容を書き忘れた。
どこで、何をするのかといったことを書き忘れた。
リンクを貼るのも忘れた。
「明日、土曜日かなりアバンギャルドなのが五反田のギャラリー?であります。興味ある人ご一緒しましょう。」
それだけの伝言だった。
悪いことに、個々へ送るメッセージでもなく仲間内の掲示板のようなところへ書いた。頻繁に目にするような場所ではなく見るのに日数を要するような。
前日だったこともあり、結果ほとんどの人には伝わらず
一人だけ来た。
もともとその人だけを個人的なメッセージで誘おうかと考えてもいた人物だった。
彼は先出の掲示板のようなところにも反応して、「おっ、どんな感じ?」という書き込みもしてくれていた。
しかし、誘っておきながらそのページをチェックするのを怠った。雑務に追われて、と言い訳をすれば多少響は良くなるけれど、残念ながら忘れていたのだ。
すると当日の午後、彼からSNS経由の電話がかかって来た。モバイルWiFiが弱いことを理由に今まで使ってこなかったSNSの電話に初めて出てみた。
しかしこちらはiPhoneではなく、iPad。
どうやって電話に出たら良いのか迷った。
まず一瞬、従来の携帯電話のように耳に当てる方角へ手が動いた。
しかし、なにか違う。
デカすぎるのだ。
コピー用紙でいうとB5ほどの物体を両手で支え耳に当てる違和感と言ったらない。
迷った挙句、校長先生が卒業生に賞状を手渡すような持ち方になってしまった。そもそもマイクがどの位置にあるのかさえ不明だった。車の通りもあり聴き辛いので肘を曲げ顔面に近付けて話すことにした。
遠くから見たら横向きにしたiPadを舐めているように見えたかもしれない。
肝心の内容
電話の内容は、実のところ良く聞こえなかった。
車道が邪魔し、
「今日のどんな、」とか
「ボヘミアンラプソディー観に行…」とか
「どこなの」という部分が聞き取れるくらいだった。
なので、待ち合わせの場所と時間を何度か叫ぶようにして濃いめの声で話しかけた。
「六時半、中央駅、ホームのセブン前」
「六時半、中央駅、ホーム内セブン前」
彼は現れた、普通電車に乗って。
いくつか乗り換えを済ませて最寄りの駅に着いた。そこは見知らぬ不動前という場所だった。
五分ほど歩き会場へ。
地下だった。
ギャラリーかと予想していたらスタジオ、いやガレージという言葉を敢えて使いたくなるような空間。
螺旋階段、十席程度の椅子。壁はグレーのブロック。目立った装飾的な照明もなく、二、三の最低限必要な明かりが灯してある。
飲物の提供もなく、喉が乾くならコンビニで買って持ち込むスタイル。純粋にその場所を楽しむ秘密の四角い部屋。
リトアニア人とたまたま同時期に来日していたベルギー人、そして細長いこの大地に生きる二人が横に並ぶ。
おりきった帳に反抗し、都会の幕が開く。四人が今夜を始める。
隣で友人が真剣に座しているのを感じながら、あっという間に二時間が過ぎた。
彼は、早くに亡くなった旧友のことを思い出したと帰りの電車で教えてくれた。
殆どの人がわからないような深い場所へ潜っていき、適応する受け入れ先を見つけることもかなわず、ただ居酒屋の壁を灰皿で強く打ち付けるしかなかった旧友に見せてあげたかったと。
終電に近い列車がそれぞれの住処へ人を運んでいく。
その途上で様々な他人が出会い、知人が生まれ、友人や恋人、家族という編成が起きる。
地元の駅へ着く頃、共通の友人を引っ張ってでも連れてくれば良かったなという意見で一致する。
心のそこから人生を肯定するようなものに出会うことはまれで、自身がそれを認知できるまでその深層を見つめていないか、あるいは提供する側が、浮上した海面からこちら眺めているだけなのか、その理由はさだかではない。
しかし確実にそれは、ある。
「良かったんだから飲もうよ」
そう誘われ、改札を出て行きつけの店へ二人で顔を出す。
もう一軒と周り、お酒の量が増えた。
声も大きくなり飛ばすツバも激増したころ、注文していたカレーライスがきた。
一緒に行きたかったなぁという顔が輝く白米の湯気に浮かんだ。
上顎に残った山椒の刺激をなぞりながら、海中の砂が初めて与える指先への幸福について考えていた。