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角の折れ曲がった濃いピンクの薄紙を読みかけの本に挟んである。朝食をほぼ終えて、カップに少し残ったコーヒーをちびちびと口に運びながら本を開く。コーヒーはお気に入りジャムの最後を食べる時のように少しずつやる。
書籍の間に挟まったピンクの真四角の薄紙を抜き、ソーサーの下へ角を差し込むように入れる。こうしておけば扇風機で飛ばない。昨日の続きを読む。この本は朝のものだ。ごくまれに夕方に数ページ捲ることはある。でも夜は決して読まない。特に理由はないけれど。
文章の中の言葉がきっかけとなって、読書が中断されることがある。その言葉がすんなりと入っていかないという場合もあるけれど、今ここで話しているのは、そのことではない。ある単語や短い文章を読んだことが別のスタートの空砲となる。顔は紙面から上げられ、窓の外を向く。緑の葉に風が当たる。動かぬ民家の壁が奥に見える。その向こうに電線が細く二本横断していて、数年前まで低層の団地があった方角へ伸びている。さらに奥はピントの合わない山の斜面が様々な木々の葉を震わせている。その辺りをぼんやりと眺める。頭の中では本の内容とも景色とも無関係な事柄がうねりながら展開している。大抵それは誰かの声や突然発せられた音で中断する。杖をつきながら坂と坂の間にある平らな横道を歩いていく老人の足音が静かに通り過ぎる。それとも仰々しいゴミ収集車の流す音楽。
パソコンのキーボードを叩いていると右の手のひらに蜘蛛がのった。くすぐったくて気が付いた。気付くと同時にそれは跳ねて、サイドテーブルのようにして置きっぱなしになっている丸椅子の上の分厚い写真集の上に飛び移った。この黒くて丸っこい跳ねる蜘蛛は以前から嫌いではないが、その昔、拡大鏡でまじまじと顔を覗き込むと、目の横にセンサーのような、別の眼球にも思える丸いものがついている。想像していたより顔は平面的。ガッツ石松さんをぱっちり二重にし、十四歳の疑いのない瞳を持たせたような愛くるしい可愛さがある。そんなことを知ればなおのこと殺める気もさらさら起きないというわけだ。窓の外で少し枯れ始めた緑の葉が揺れている。日除けに吊るしてある大きな布がはためき、コウモリの襲撃のような影を投げてよこす。今は時刻でいえば午睡の頃。しばらく前に賑やかだった夏休み明けの小学生は既に家に帰り着いていて、通りは車の音がする。蜘蛛の飛んだ向こうで横になっていた家人が、葉の擦れる音に寝返りをうつ。
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