鎖樋

靴下を急いで履いて

 

 

パソコンを取り出し、言葉を打つ。

両足に布切れ一枚巻きつけるだけでどうしてこうも暖かいのか。

一方で、つい数日前まで小さな木材一本を運んだだけで玉状の汗が吹き出ていた。あの季節はなんだったのか。

 

 

昨日、地下鉄に乗り。

 

永田町で乗り換えて、人の溢れる町へ。

空気のこもった構内から地上へ這い出ると、小雨であった。

異国からの買い物客を避けながら街路樹の影を踏む。

空気は適温で、むしろ顔を包む霧雨の粒が心地いい。

 

流行りの服が窓の向こうに陳列され、ガラスとそれぞれの主張に塗られた壁面が人を待っている。

 

配色を絞った外観に竹色の植物を這わせた建物のある信号を左折して、路地へ入る。

湾曲したガラス張りの路面店は借主を探している。

記憶の地図で通り過ぎた場所に目的の店はなく、一つ戻って直感のする角を曲がる。

都会らしい背の高い広い窓と、身長のある樹木。

目的のお店であるのか看板を確認していると、テラス席に一人腰掛けていた人物がこちらを振り返る。

 

「どうぞ」

 

 

歯切れのある印象の店名が書かれたガラス戸を押し、中へ。

 

天井の高さと人の気持ちの余裕は比例する。

 

 

窓に沿って配置された気分の良さそうな席には先客。

本を並べた棚越しに二、三段の階段を下りる。

一人で座るには勿体無い四人掛けのテーブル席を案内される。

 

コンクリートの壁と長椅子の間はやや狭いけれど、腰や背中が楽なように小ぶりなクッションが置いてある。

生地がびろびろと折れ曲がった材質の絵が二枚あり、片方には横板を張った白と灰色の家が描かれている。扉は薄い緑。端の方で画布から剥がれた色素がより一層雰囲気を盛り上げている。右下のサインは混乱し判読できない。

 

コーヒーを待っている間に一通り店内を見渡し、窓の外へ視線を投げる。

 

調度品はどれも程よく時間経過した古物や嫌味のない仕立ての什器で見飽きないのだけれど、それらを額縁とするようにして高く広く天井まで続いたガラス窓の外、滴る雨と配置された木々は何時間でも眺めていたい一枚の絵にも見える。

 

決して食べ物の邪魔をしない程度に微香する数種のサボンやポプリ。静かなギターの音色に友人たちの顔を思い出す。

 

飲み干したコーヒーカップをそのままに本棚を見ようと席を立つ。

 

先客が退店したこともあって、手の空いた店主が背後から声を掛けてくれる。

新刊も古書もある中で、今のオススメはこちらですと指添えた坂本千明氏装画の猫のイラストが表紙の本は、先日下北沢の書店で既に買い求めた一冊だった。

 

 

同じ本を気に入っているという安心感は他人との距離を一息に縮める。

 

 

生まれの共通する民族ですら誤解や齟齬を招く「言葉」という非常に不便で扱いにくい手段を手にしてしまった生き物が、その中でも懸命に伝えようと選択した本という言葉の形態。

 

数百万の濡れ方のある、雨。

 

 

二階の集水器から下りてくるのだろうか、細長い鎖状の金具を伝って雨水がちろちろと鈍く輝いている。

 

しっとりと優しく落ち着いた質感の声をそのまま形にしたような、雨に似合う美しい路地裏の店を出るとき、主人は赤い折りたたみの雨傘を持たせてくれた。

 

雫の強くなってきた雲にその紅花を広げ、今日の空模様を感謝した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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