激しい雨音が閉じた瞼の向こう、網戸越しに少し開けてある窓を響かせる。夜更け。吹き込むだろうかという微かな意識が、気怠く回る扇風機と暗闇を輪舞する。二、三度そんな朦朧とした世界を彷徨い、朝。
洗面所でうがいをし、キッチンのテーブルにノートパソコンを開く。
携帯電話という便利なものが世間に広まり、もう二十五年くらい経つだろうか。先日ついに3G携帯を引退することになった。二年ほど前から時折来ていた「お使いの携帯電話サービスが終了します」という封書。再び届いたので久々に目を通すと、残り五ヶ月で3Gは終了するとある。ついに半年を切ったわけだ。
かといってスマホを使ったことがないわけではありません。iPhone4sが発売されたときは驚きとともに購入し、興奮した。数年使用の後、彼が突然別れの画面(さまざまな色が溢れ、なんと美しい去り際だったことよ)を表示してうんともすんとも言わなくなってから再びガラケーに戻ったのだった。箪笥に眠っていた古い携帯を呼び覚ますように掘り起こした。充電を済ませ再起動すると動いた。まるで旧式の戦闘モビルスーツが、敵に囲まれたピンチの状況で再稼働するような高揚感があった。「お前生きていたのか」と感慨に耽る。「あぁ久しぶりだな」その黒光する小さな旧式携帯は傷だらけの顔をこちらに向けながらそう語っていた。
古い彼はメールと電話しか使えず、ネットも写真も撮れなかった。おまけにしばらくすると、押しても反応しないボタンがあらわれた。そのために濁点が打てなくなった。メールを返信しようにも濁点が打てないので、「て」と入力してから記号を開きその中の「”」を打って、擬似の「て”」を作り、「で」の代わりにするなどした。慣れてくると、過去に使用した履歴候補の中に「で」が表示されているのを再利用するようになった。
例えば「明日」と打つと次の候補に「です」だとか「から」だとか「には」といった言葉が表示される。その中から「です」を選び「です」の「す」と「明日」を消して「で」だけを流用するのだ。漢字は音読みと訓読みに頭をヒートさせながら濁点を使わずに変換できる文字を考えた。
今までおかしな濁点でメールを送っていた方々にはこの場を借りてお詫びはしないまでも、「そういうことでした」という報告をここにさせて頂きたい。
今日からは安心して濁点をお読みください。
そんな試行錯誤の使い方をしながら引っ張ってきた古い携帯電話。良い部分もありました。充電は二週間もつし、メールと電話以外に使い道がないので出先の喫茶店や電車の中でネットをいじることもない。むしろ短い外出なら持っていかないことも多々ありました。あらゆる接続から解放された心地よさといったらないわけです。
これからは足枷をはめられた代わりに、外でAmazonの注文が可能になり、小さな画面で映画を見たり、SNSに呟いたり、Facebookのメッセージを読んだりできるわけです。その代わり私はどんどん無能の人になっていくでしょう。この小道のどちらが正しい道なのか側溝や影や路面店の並びから判断することはできなくなり、風や虫や鳥たちの行動から天気を占うこともなくなり、濁点を探すために漢字の読み方を思い出したりしなくなるでしょう。
気温が上がってきました。そろそろコーヒーを淹れて朝食の準備をしたいと思います。さようならマイ3G。濁点の技術をありがとう。これからはスマホのメモ書きを出先からアップロードする日記が増えるかもしれません。その時にはあの雨粒のような「”」方式の濁点のことなどはすっかり忘れてしまうのでしょうか。
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