もろこし園芸店

強風です。

 

目覚めれば強風です。

扇風機を足に夜通し当てていると、ヒリヒリ痛くなります。

なので、タイマーを二時間とか、四時間にセットして首を振っています。

どうでもいいですね。

 

先日、埼玉で梨の畑を見ました。

 

背が低くて収穫しやすいようになっていました。

梨の木は地味です。実がなっても地味です。色が地味です。

野球に例えると、イチローとか松井秀喜とか、ホーマーとかクロマティーとか屋敷とかではありません。ポンセでもありません。

どちらかというと、四国リーグ。いや、四国リーグは見たことがないので訂正いたします。

どちらかというと、野球のことを知りません。小学生くらいで情報が止まっているのです。

なので、野球ではなくて野菜で例えたいと思います。

 

梨は、野菜でいうところの小葱、アサツキでいかがでしょうか。

あまりパッとしませんね。

 

つまるところ梨は梨なのです。

 

窓の外で風に吹かれた木々が大きく揺れています。

ユーカリやオリーブの樹は柔らかいので大げさに揺れます。

それに実際どんどんと曲がっていきます。

 

ソレイユの丘という場所があります。

 

日本です。

その丘への道すがら、曲がった坂道沿いに街路樹としてオリーブが植えられているのをご存知でしょうか。

このオリーブの木々はとても不思議な形をしています。というのも、管理の業者さんがまるでキノコの里のように剪定しているからです。

短足なトウモロコシの形といったらわかりやすいでしょうか。丸みを帯びたロケットでもいいでしょう。

 

こんなオリーブの切り方はみたことがない。

 

きっと欧州から来た旅行者は衝撃をうけるでしょう。

しかも、トウモロコシ状にカットされた木の片側は風に吹かれて枯れていたりするのです。

その姿は、食べかけの緑色をしたトウモロコシ。

 

トウモロコシはもともと様々な色をした個体があったそうですね。

何千もの種類があって、トウモロコシ=黄色ではなかった。赤や橙、黒、白、まだらなどもトウモロコシ色だったわけです。

 

ところで、今バナナがピンチなのをご存知でしょうか。

 

南米でバナナの病気が流行り始めたそうで、このままだと大打撃らしいとネットでみました。

毎朝のようにバナナを食べている身としてはかなり心配です。

そもそも、日本では沖縄を除きほとんど作られていないバナナが毎日あんなに沢山スーパーマーケットに並んでいるというのは不思議なものです。

どれほど大きな畑があるのだろうか。

バナナの世界戦略は達成されたのだ。

世界はバナナとトウモロコシの黄色に染まっている。

 

そうだ、思い出したぞ。

 

昔、台湾の南、その名も台南という地域のある町に泊まっていたときのことだ。

まだ熟れていない緑色のバナナの房が市場で売っていた。それを買い求めて宿へ帰ると、宿の主人が「それはまだ食べられないからお風呂場に吊るしておきなさい」といった。

言われたようにして一週間程度過ごしたのだろうか、うっすらとは黄色くなってきたものの全然緑色が抜けない。硬い。

出発の朝が来た。

その宿には悪ガキの小学生が住んでいて、一度遊んだこともあった。ただでさえ重いバックパックにバナナをしまう気力はなく、彼の家族にその緑色のバナナは引き継いでもらった。

食べた思い出よりも、食べられなかった思い出が胃袋には刻まれる。

とても新鮮で美味しそうにみえた緑色のバナナ。

 

今、ロイヤルミルクティーを飲んでいます。

たっぷりの茶葉で淹れてもらったそれは遅めの朝にぴったりな飲み物です。

緑のお茶がイギリスへ辿り着いて茶色になった。

緑から黄色、そして茶色へ。世界は今日も変色していきます。

 

 

では、また。

 

 

 

orwell1984

また、暫く書きそびれた。

 

それは多分、いやほとんど暑さのせいだ。

ノートパソコンも暑くなる。冷房のない、扇風機だけの部屋ではとてもキーボードを打つ気にはならない。

 

今日は八月の終盤で、季節の変わり目を予感させるいくつもの小さな変化が、そこかしこに芽吹いている。

たとえばそれは、食べたいものの変化だとか、夕刻を過ぎた窓から入る風の温度だとか、散歩中の大気だとか、ホームセンターで特売になっている水中眼鏡セットの価格などに感じられる。

 

最近読んだ本について

ついに、ジョージ・オーウェルの『1984』を読了した。

これはオーウェルが残した最後の小説で1949年に発表された。

独裁政党の下で生きる党員を描いた当時の未来小説で、主人公を含め、この国の党員はテレスコープなるものに部屋中を監視されている。

部屋で話すこと、会った人、思考していることまで全てを見通され、党の考えと違うことは発言できないし、考えることも禁止されている。

異端者は思考警察によって捕らえられ、簡単に消される。

時代設定は現代のグーグルエコーとかシリー等に声や姿、興味や考えの志向データを取られている状況と非常に似ている。

 

だめだ、書けない。

 

感想は書けない。

いま、猛烈に眠いのです。

頼む許して(誰に?)

まぶたを止めるな!?

ですので、

この続きはまた・・(あるかわからない)

『1984』は拷問のシーンもあるのです。

それは、この眠気を妨害するとかいうレベルじゃない。

もうだめです。

この面前の世界では起きていられない。

 

おやすみなさい

 

 

もう一度読む気は今のところ起きません。

でも、

ジョージ・オーウェルの『パリ・ロンドン放浪記』はとても好きだし(特にパリ編)

スペインの内戦をルポしたあの作品も悪くないし、、

 

ほとんど片目でキーボードを打っています。

 

家人がいうには「白米を食べたから眠いのよ」とのこと。

 

ほんとかな?

白米って睡眠導入作用があるのでしょうか?

今日は金目鯛の煮付けでした。豪華です。とっても美味しくて・・

 

眠い!

 

どうしようもない、あらがえない。

そういえば、キアヌリーブス主演の映画『マトリックス』も新作作るみたいですね。

マトリックスもコントロールされた世界だった。

物語よりも、映像がかっこよかった。

しかし、映像って面白いもので、技術が更新されていくその瞬間はとても印象的で「なんだこの映像は」「どうやって撮ったんだ?」と思うものの、次の新技術、その次の新技術というように次々と新しい映像が発表される。そうするとほとんどの映像は当時より今現在の方がかっこよく思える。

ミッション・インポッシブルや007シリーズなどのアクション映画では特に顕著で、驚くような映像はやはり現在に近い方の作品になる。

一方で、『地獄の黙示録』で受ける映像の印象は全く別で、そのあとのコッポラ作品のどれよりも濃く焼き付いている。これは別の種類の格好良さなのかも知れない。

新しい映像というのは次々書き換えられる。当時新しかった技術や構図だけでは作品の耐用年数が知れているということか。

 

いったい、今、何を書こうとしているのだろう。

 

どこへ行きたいのかさっぱり分からない。

早くお風呂に入って眠ってしまいたい。

べとついた思考と肌を洗い流す必要がある。

 

オーウェルはもう少し早めに読むべきだったのかも知れない。

この作品が示していることは現代に十分危惧される問題を含んでいる。

恐ろしい情報管理社会が迫っている、いや既に始まっているからこそ『1984』は読みにくい。それは既に真っ只中であるからかも知れない。

つまり、この眠気すら打破できないよう思考で革命的な社会変革などどうやって・・

 

 

お昼に、アイスを食べました。

 

 

アイスはとっても冷たくて、夏の暑い時期には欠かせません。

夏は暑いものです。

来年はオリンピックです。

開催に賛成か反対かと問われると、どちらとも言えません。

 

かかる金銭面やその後に残るであろう負の遺産を思えば反対だけど、

一方で、子供の時に見たカール・ルイスやベン・ジョンソンの驚愕する速さ、体操の鞍馬の驚き、空中で何回転も回って着地する超人たちの姿。そういった脅威の身体能力、つまり人間というものの可能性に心をときめかせたことも事実だったからです。

もし、そういうものをまだ見たことがなく、それを一生見れずに過ごすとしたら・・

 

多分、日本はあらゆるものを体験してしまった老齢の国なんだろう。

 

ほとんどのことは知っているか、知っているつもりになっているように感じる。

飢餓感、何かを知りたいという渇望感はどんどん薄れている。

むかし、東京の宿でインドネシアの青年と出会った。

彼の旅の目的は音楽。一人でフジロックに行くのだという。

インドネシアから、青年が、一人で、日本一大きなロックフェスを見てみたいとやってくる。その渇望感。自分の国には足りていないという飢餓感。過去に経験したことがないという欲望。

 

前回の東京オリンピックから五十六年。

ジョージ・オーウェルの没後七十年。

そう、来年は二千二十年だ。

 

風邪をひかないように過ごして下さい。

夏も、暖かいものを時折飲んで下さい。

来年もバナナとヨーグルトが安価に買えますように。

そして、安心しておやすみなさいを。

 

好きな時に好きなだけ眠れる自由を。

好きなことを好きと言える自由を。

それがどれだけありがたいことか、オーウェルは書いたのだった。

 

『1984』(新訳版)ジョージ・オーウェル著 高橋和久訳 早川書房

 

 

 

 

 

切れてますた

こんにちはーーーー

 

[ここに写真が入ります]・・・都合により入れませんが。

 

お久しぶりに書きます。

あまりに久しぶり過ぎて「切れてますた」

ドメイン契約が期限切れでしたの。(〜.comみたいなやつね)

 

危なかったです。あと一週間過ぎるとひどいことになってたらしい。

助かりました、ありがとう!

 

教えてくれた人がいまして、そのひとが「ファンページみれなくなてるよ」

というんです。

ファンページ

ファン将軍っていませんでしたっけ?

 

ということで、たまには更新しないと契約が切れるのも思い出さない。

なのでこれからは、あまり深く考えずじゃんじゃん書いていきたいと思っています。今は。

 

最近のことをいくつかメモっておきます。

先日、岡山県へ行ってまいりました。

とっても素敵なところでした〜というほどどこも見れていません。

仕事で行き、自由な時間がほぼなかった・・涙

 

思ったよりスーパー都会で、小さな川が街中を流れていました。

街中=まちなか、のつもりで書いてます。「まちじゅう」だとベニスに死す的な。

「ベニスで寿司」もいいです。

「ベニスで押忍」というのはマッチョな男塾です。

「ベニスに椅子」というのはいたって普通なのでせめて「ベニスでこたつ」くらいは挑戦したい。

 

昔、犬を飼っていたんですが、最初の二日くらいゲージで飼いました。

でも、あまりにも可愛いので三日めには布団で一緒に寝ることになりました。

家犬です。

その犬が、冬になるとこたつに入ってきます。

ぐぐぐぐぐーーーーと、布を頭で押しながら突入してくるわけです。

家族四人の温まった足と一緒に入るわけですから、彼は鼻が悪かったのかもしれません。

それで、しばらくテレビなど見たりしているともぞもぞと動きだし、また頭で布を押しのけて外へ出てきます。動物なのでとことんまでいってしまう性癖があります。

ですので、こたつから出てくるときは「暑くてしかたない、もう限界だ〜」という感じでフラフラになりながら登場します。

そして、

バタンと倒れるように床に寝っ転がります。まるでサウナから上がったオッチャンです。

この仕草がとても愛苦しく、冬の風物詩でした。

 

大分前に彼は他界しました。

いまでは、この文を書いていても心がちくちくしない程度には時間がたっています。

でもそれから犬は飼っていません。さみしいから。

時々野良猫が家へ昼寝に来ているようです。でもご飯はあげませんし世話もしません。

寝たいなら邪魔はしないという感じでしょうか。

そのかわりおしっことウンチはするんじゃにぁ〜ぞと言い聞かせています。

言い聞かせるといっても相手が聞いているかはわかりません。

遠くから日本語で伝えているだけですので。

 

でもじつは

 

とっても効果的なんだと思います。

聞いているんだと思います。

近所の虫と、動物と海の中の魚はなるべく丁寧に見ようと思っています。

 

 

さてと、ここで最近読んだ本についても書いておきます。

・坂口安吾著『堕落論』角川文庫

安吾さんは早過ぎるその死まで戦中戦後の倫理観・哲学について色々書いたようです。真面目風にあれだけやってダメな日本だったんだから堕落しろ、真に堕落することから始めるのだ。というような感じの散文を集めたのがこの本『堕落論』です。戦後の日本で若者の指示を受けるのは当然の作品だと思います。なかなかぐいぐい読めたので二冊目に『肝臓先生』というのを買って来ましたがこちらはまだ手をつけていません。

言葉と行動がとても近い相反しない人だったんだろうと思います。

随分かっこいい人。

 

・マルグリット・デュラス著/田中倫郎訳 『モデラート・カンタービレ』 河出文庫

全編を通じて漂っている湿気を帯びたような気だるい空気感がいいです。

フランス人なのでしょうが、生誕から少女時代をベトナムで過ごしたというその出自が、文体にアジアの湿気を含ませたと断言するのは安易過ぎるでしょうか。

港町で起きる男と女の・・

男と女のなんだろう?

出発間際の駅舎でどちらへ行こうか、上りか下りか、

どこかへ

というようなものです。

深く言わない、はっきり言わない、匂わせる

そうですね。フランス人はチーズ、ワインといった香りに敏感な人たちなので

この作家も香りをたてるのが上手です。子供の描写もいい。目の端で親が子をそれとなしに確認はしているけれどさして興味はないといったような。

 

・新倉俊一著 『アメリカ誌入門』 研究社出版

ブックオフで100円だった。書き込みが全般に及んでいてきっと誰かが教科書として使用していたのだろうと思う。どうして処分してしまったのだろうと考えてしまうほど真剣に勉強した跡が感じられて、買わずにはいられなかった。

内容は英語でアメリカ詩を掲載し、日本語で読み解いていくといったもの。登場する詩人はそうそうたるメンバーで、ホイットマンから始まりディキンソン、フロスト、T.Sエリオット、ギンズバーグ、エズラ・パウンド、ゲーリー・シュナイダーなどなど。

そういえばfree jazzの高柳昌幸の作品でT.Sエリオットの「荒野」という詩からタイトルをとったものがあると何かで読んだのを思い出した。

 

いや、話がそれました。

今日はこんなところで。

*今回はまったく読み返したりせず、書いたそのまま上げてみるので変なとこあったらごめんなさいね。