おじいが電信柱で


The Cureを流しながらハンドルを握り、夏の夕方の坂道を下った。信号に近付き、高架下を抜けた。数台の車が前方の赤信号に停車している。後ろへつけてブレーキを踏む。

左の窓の向こうに、買い物客が夕方の忙しさの中で歩道を行き来している。人が横並びに二、三人通れるくらいの、これといって大きくも、狭くもない歩道。信号と交互に車窓をながめる。

おじいが一人歩いてくる。右手に布の鞄をぶら下げ、電信柱の前で止まった。おじいは進行方向とは逆の方に向き直り、人差し指を口に当てた。その人差し指をペロと舐め、湿った指先で電信柱の壁面に何かをさっさっと書いた。すぐさまもう一度同じように人差し指を口に戻し、またペロと舐めた。指は先ほどと同じ軌道で電信柱へ向かい、途中で半回転しながら指の腹を壁面に向けた。再び指が電信柱を短くなぞる。

四、五回その動作を繰り返し、おじいは向き直った。自分の道を、歩く方角に向かって。数歩先には薄暗い高架があり、だらだらと長い坂が始まり、やがてトンネルへとつながる。

信号が青になりブレーキから足を離した。大きな十字路を越え、この街の中心へ進んだ。いつも停める駐車場へ向かい、ゲートをくぐってエンジンを切った。歩いて下の街へ向かうと、前方に知人の後ろ姿をみつけた。長年の労働の癖で少し左へ傾いでいる彼の背中を眺めながら、そのままの距離で坂を下る。

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こんな時間ですから

「マッドマックス:怒りのデスロード」

って、相方が時々低いダミ声で吠えるんです。だからというわけではないのですが、最新作『マッドマックス:フュリオサ』を地元の映画館でみてきました。会員権があるので、1300円でみられるのです。
『関心領域』にしようかなと思ったのだけど、ちょっとその日の心もようでは、望まぬ方角へ持って行かれそうな気がしました。明るい映画を欲していたわけです。

コメディでした。


三回くらい笑いました。

そして、『オッペンハイマー』一日一回だけどまだ上映しているみたい、もう一回みようかな?などと思いながら劇場を後にしました。

で、そのあと友達とコースカのイオンスーパー前で待ち合わせしたんです。

渡すものがあって。それで彼を待っていると、超大きな冷凍食品コーナーをみつけました。話にはきいていたけど想像以上に広くてびっくりしちゃった。
それで、彼が来てから二人で中を見て回ったのです。「なんでもあるねぇ、」なんていいながら。だって本当になんでもある雰囲気なんだもの。例えばピザーラのピザ、フランスのクロワッサン、チョコクロワッサン、イタリアの食事パン、米粉のガレット、巻き寿司、ケーキ、野菜、果物、魚、貝、粉物、揚げ物、冷凍みかん。
他にも「へぇ〜こんなものまで」と思ったのですが、なんだったかすっかり忘れてしまいました。

「なんでもあるなぁ」
「これは近未来だなぁ」
「全部二人の分だとしたら火星いけそうだなぁ」

作りも宇宙船ぽいんですよ。蛍光灯が白く贅沢に満遍なく店内を照らしています。だからあそこでスタートレックの真似とかしたら楽しいよ絶対。おすすめです。

でも何も欲しくはなかったので冷凍コーナーを後にしてスーパーで飲み物を買いました。外の公園にあるベンチへ行きました。そこで横並びに座って海と漂着物を眺め、薔薇と行き交う人、船。

ではここで、みなさんご一緒に

「マッドマックス 怒りのデスローーード!」


突然脈略もなく叫ぶのがいいみたいなんです。そういう時間が人生には必要なんです。
さて、眠いような気がしてきたのでこのあたりで今晩はコンセントを抜きます。
ではまた。

p.s.

そういえば予告で10月ごろに『ジョーカー2』やると流れていましたよ。

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むかしすんでた

日暮れ前の日曜、子供の頃に行き馴染んだ道を歩いた。現在となっては意志を持って向かわねば、けっして通ることのない道。そこを久しぶりに歩いた。

その道は車からすれば裏道であり、当時の子供からすれば、スケートボードに座ってなだらかな坂を下りつつ、大急ぎで門限の前に家へ辿り着くように帰宅する主要道路でもあった。それよりも大切だったのは、友達がその道の延長線上に住んでいたことだった。



五月の終わり、初夏へ向け気温が忙しなく変化する。夕方の五時を過ぎてもまだ外は十二分に明るく、公園では子供の遊ぶ声が響く。車道からそれて、小道へ入り、懐かしいその道へ折れた。すると地面に中途半端な長さのロープにみえる蛇がいた。

子供の頃、近所の生垣で蛇を目撃することは普通だった。ボール遊びをしている最中、たまたまボールが転がった先にゆっくりと這い進む青大将をみた。友達の家の正面にある家の生垣には度々大きな蛇が出たので、子供たちの間ではあの家に住んでいる蛇なのだということになっていた。

蒸し暑い扇風機、濡れて艶のある肌、麦茶と素麺、ゴムの香り、音もなく深い暗闇へ消えていく細長い生き物の記憶。

彼らが昼間の通りへ出てしまい、道路を横断する姿を目撃すると感動に似た気分に包まれる。それはミミズでも同じだし、夜行性のはずの昆虫の一種にも感じる。

なぜ日中に、この目立つ通りへ出てきてしまったのか。どうしても横断しなければならないほどの理由が彼らにあったのだろうか。一歩間違えば、車やバイクに轢かれ、あるいは悪童たちになぶられる危険のあるこの道へ。家路へ、楽園へ。それとも理由のない「今」という発射音を鳴らす号令係が彼らの中にもいるのだろうか。それは頭にパーマー用のカールを巻いたまま、ナイロン性の布を肩に巻いて表へ出てきたおばちゃんを思わせもする。他人には理解の及ばない「今」をそれぞれが抱えている。


日曜の日暮れどきに歩いた道に、かつて幼馴染の家があった。二軒隣には犬が吠える民家があり、その前を通らなければ友達の家には入れなかったので必ずその鳴き声を聞くことになった。二階にある彼の部屋でゲームをしたり、アイスキャンディーを舐めたりした。窓から家と柵の間を行き来する犬を眺めることもあったけれど、大抵は薄暗い部屋の中に二人でいた。

そのあと彼は少し不良になり、今はどこにいるかわからない。

二千二十四年、五月の終わり。まだ明るい小道を横切って生垣へ上がっていった青大将は、そんなに大きくはなかった。それは、あの頃より自分が少しだけ大きくなったからなのか、それとも少しだけ遠くから物事を眺めるようになってしまったのだろうか。

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