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七月の終わり

 

東京の映像センター、川辺にある試写室

ロビーには4Kのモニター

 

八十代と思われる杖をついた監督

フィルムを貸し出した大先輩は監督より一回り下

 

非常灯さえ光らない暗闇の試写室

 

色の階調とフィルム、デジタルの話

 

大先輩が選んだ近所にあるタイ・ベトナム料理のお店

 

「この映画は物語の筋がどうこうという作りの映画ではないので、色や音の微妙なニュアンスの部分が肝なわけで」

 

経年、垂れたフォーの汁が染み込みヌルリとした床

 

留学生とおぼしき店員さんが「ノンアルコールビールでぇ〜す」といいながらZIMAの小瓶をテーブルへ運んでしまった

カウンターの端で若女将が伝票の計算をする背中

 

「どこの料理でしょうか」

 

「監督、タイですね。タイとかベトナムは魚の出汁を良く使いますから、ボクらにも良く合うのではないですか、しつこくないですしね」と大先輩

 

「僕の映画はニュアンスの部分が肝なのでね、森の奥行きのシーンだとか、大谷石の場面の影の部分などはデジタルでは大分潰れてしまうのかなぁ。しかし、この料理の味は良くわからないなぁ」

 

前衛舞踏家が赤い箱を抱えて踊っていた水辺のシーン、暗闇

プラスティックのケバケバしい赤い椅子で揃えたタイ・ベトナム料理店

 

階段を杖を使って丁寧に降りたかと思うと、締まりかけのエレベータに突然駆け寄る監督

 

山手線のホーム

 

「どうですか、あの映画を若い方へ向けてスクーリーンにかける意義が、まだあると思いますかあなたは」

 

一つのホームに品川方面行きと渋谷行きの電車

二重の自動扉

 

車窓からはミニチュアのようなタクシー

 

「映像センターからはセイとフクというディスクが渡されたのですがね、そのセイとフクというのがどうもわからない。セイフク二枚のディスクで内容は同じものです、と向こうはいうのですがね」

 

タイ・ベトナム料理店にデザートはなく、カウンターには炒め油の飛沫

 

丁寧な対応の映像センターの若い従業員

 

待合室に置かれたミネラルウォーター三本の水滴

 

 

 

 

 

ブックメリーゴーランド

まずは

 

打ち合わせが無事に済んだことを一人で祝うために

 

喫茶店へ

 

今日は珍しくロックがかかっていた。

 

お店を経営するというのはとても大変なこと。毎日シャッターを押し上げ、他人を迎えるために自分の気持ちを用意するだけでも、それは奇跡。

きっと、今日はロックが必要だったのだろう。

ロックは死なないし、日本語も死なない、必要な人が日々移り変わりはするけれど。

 

お茶。

 

本を読みながらタバコを吸う若い男性。

 

壁のシミと室内にある扉のぐずぐず。

 

古書店へ

 

 

外国人作家コーナへたどり着く前からその声は響いていた。

書架で三列に仕切られた店内の一番左側、文庫本のコーナーから流していくのが通例。

海外の作家棚の手前、日本人作家あいうえお順の中程に彼らはいた。

 

かしこまった店ではないので、友人と本を探しながら喋る人がいることもある。

ただ、彼らはその声が余りに大きい。

 

仕事用スーツなのか私服なのか判別しずらいパンツにワイシャツという出で立ち。リュックを抱えた二人。年の頃は三十代前半か。

 

 

「あっ、これこれ、読みましたか?僕まだなんですけどかなり面白そうだなと思ってチェックしてたやつですハイ」

「へー、そうなんだ。なんかタイトルは聞いたことある気がするなぁ」

「そうですそうです、映画化もされてそこそこヒットしたんじゃないですかね、でも僕これ本で読みたいなと思ってそっちは見てないんですけど」

「あ、やっぱりな。絶対聞き覚えあると思ったもん」

「ですよね、主題歌も色んなところで流れてるし」

「そうそう、それで知ってるんだあのバンド結構好きなんだよね」

「歌にも結構本からインスピレーション得ている曲ってあるじゃないですか、カフカからセリフひっぱったりとか」

「カフカか、あんまり読んでないんだよな〜、王道過ぎてさ、面白い?」

「いや、いや、いいですよ。僕もまだちゃんとは読んでいないんですが、変身って有名なやつなんか、主人公毒虫に変わっちゃいますからね。朝起きたら毒虫なんですよ。ありえなくないですか先生」

 

どうやら片方は教職に就いているらしい。

聞きたくないのだけれど、慣れて代わり映えのしない古書店の海外文庫棚を眺めているだけでは防ぎようのない音量と勢い。チロっと視線を送ってみるも反応はないのでしかたなく新書コーナーまで足を進め、普段長くは検索しない棚をあえてなぞってみる。

 

岩波新書「モーセ」、どこだか忘れた「釣りの社会学」その他、その他、その他、

 

「あーー、ほらありましたよ変身、変身ってぜったい古本屋にあるんですよね。アメリカってやつも面白そうだ」

「そういえばさ、乙一って読んだ?」

「いや、名前だけは。先生好きなんですか?」

「うん、結構ね〜。となりがほらあの先生だから結構色々貸してくれんのよ」

「あー、そういうことか。でも難しいの多くないですかあの人」

「そうなんだよね、あの先生はさ、人類の叡智ババーンってやつを進めてくるでしょ、だけどそういうのってまだ自分が読む準備できてないっていうか・・なんかこう自分のエンターテイメントとして読みたい本っていうのが優先されて・・」

「わかります!古典とか言われても、なんかこうさっと手がでないっていうか」

「そうなんだよ、だから逆にほらこれ、数学の人が書いた本なんだけど、数学者なんだけど文も書くっていうさ。こういうの以外といいのよ。ほら自分だと言葉にならないもやもやした事柄がさ、あるじゃない。それをこの人がズバっと書いてくれるのね、ぴったりのことをさ。」

「あ、それって、先生もやっぱり数学の理解が深いから読めるっていうのもありますよね」

 

 

なるほど、先生は数学者らしい。

 

 

彼らは文庫棚を進みつつ新書コーナーへと進路をとっているように思えてならない。

 

どんどん追い詰められていく。

写真集や絵本のある通路を超えて、対極にあるハードカバーへと避難する。

しかし、全然タイトルが頭に入ってこないし何を探したいのかも分からない。

 

 

図書館じゃないから別に喋ったっていいけど、あんなに大きな声でしゃべり続けられると流石に集中できない。店員も注意する気はないらしいし、後から来た別のお客さんも一瞥はくれるけれど、今時注意しに行く人も余りいないだろう。

 

 

「え、先生は村上春樹はどう思います?」

「う〜ん・・」

「書評家には結構悪いこと書く人もいるみたいですけど、どうですか?」

「そうだねぇ、ベストセラーというだけで面白いかどうか、っていうとまた違うのかなと思うこともあるけれど」

「あ〜そうですか、そっちですか。春樹さんって実は結構翻訳もしてるじゃないですか。」

「そうなんだ、翻訳家でもあるんだ」

「そうなんですよ。例えばインザライ、あぁキャッチャー・・ええと、ライ麦畑、サリンジャーの有名な、」

「え、あれも翻訳しているの?」

「はい、それからレイモンド・チャンドラーとか、他誰がいたっけな・・、でも好きなんですよ春樹さんの翻訳したのって」

「へ〜、読んでるね。いや結構広く読んでるよね?」

「いや、こないだも単行本でたまたま安く売ってるのがあって。重いけど買っちゃいましたよ。あ、単行本も見ていきます?」

「行こう行こう、探してるやつも二、三冊あるしさ。」

 

 

 

来るのか、単行本にも来るのか。いよいよか。逃場を失ったカニのようにぷくぷくと不安の泡がこみ上げる。

 

 

 

「こういうさ、啓発本なんかも最近結構興味あってさ」

「え、先生こういうのも読むんですか。僕は手に取らないなぁ。うんこういうのは買わなですよ。いや、読んだことはありますよ。バイトしてる時代に。でもこういうのはバイト終わって、床屋で、千円カットの床屋で読むもんで、買いませんね」

「そう、ちょっと興味あるんだよな」

「それより、ダイゴって知ってます?Youtuberの」

「ユーチューバーのダイゴ?何それ知らない」

「めっちゃ面白いです。ぜったい啓発本よりためになります。いや実際面白いですって。見てください、検索したらすぐ出てきますから。色んなジャンルの話あるんで、画面見なくても音として聞いてるだけでも20分とか楽しめるんで」

「そうなんだ、ダイゴね・・あ、吉田修一あった!」

「お〜、吉田修一さん好きですか。いいですよね、パークライフは絶対絶対」

「パークライフな、あれはいいよな、この、橋を渡るは幾らかな?」

「えー、と、ちょっと待ってくださいね・・うわっち、先生二百円っす!」

「二百円?吉田修一が二百えん?」

「やった〜〜これは、掘り出し物じゃないですか?」

「やったな、見つけたな、だからこの店最高だよ。たまに来るといいよなぁ」

 

 

なんだか、恋する二人がメリーゴーランドで次々と回転しながら本を探し、相手の興味を探り、どこまでも笑みを絶やさず回って行くように思えてきた。

 

 

むしろ、間違っていたのはこちらなのではないかと感じるようにさえなっていた。

 

 

都内では私語禁止のブックカフェがあり、図書館ではヒソヒソ声で会話することを暗黙の了解にさせられ、オレンジの明かりが薄暗く灯ったお洒落な古書店では目配せだけで意思疎通を済ませなければならないような風が確かにある。

それは決して悪ではないし歓迎すべきことだけれど、一方で、もしかしたら我々は愛しい人と本を探し、楽しんで次の読書へとつなげていく時間や情報共有を、自分が集中したいという理由の目線や咳払いでもみ消してはいないだろうか。

映画は静かに見るものというルールのようなものが日本にはある。しかし、イタリアの映画館では友人同士が目の前で起こった映画のシーンについて上映中に話し始めたり、恋人同士がセリフを繰り替えしたりする。

それは日本式に見れば迷惑かもしれないけれど、人間同士の本当に大切なことというのは、作品を鑑賞するという行為よりも上位に、隣に一時いる友人や恋人、家族を何よりも大事にするということがありはしないか。

 

だんだんと、彼らが憎くなくなっているから不思議だ。そもそも同じ「本好き」というキーワードで括られた部族であり同士であったはず。テレビばかり見て、読むものと言えば安売り広告とスポーツ新聞の猥雑欄だけとう種族よりも深い部分で繋がっているはずではなかったか。

 

 

タイトルを追えもしない単行本コーナーから顔を上げると、不思議なことに彼らの周りには人が沢山いた。十分前にはあからさまに怪訝な顔をしていたロングスカートの女性も、白髪の老人も、学生らしき人物もそこにいた。

店内全てを足し、十五名ほどと思われるお客さんの内十人はこの列にいて、しかも彼らにより近い場所で本を物色し、聞き耳を立てているようだった。

 

 

いつから鳴っていたのか、店内の有線放送はCharaのスワローテイルバタフライ「あいのうた」

 

 

二人はそれぞれ七、八冊の本を手に持ちながら自然とそれに合わせて鼻歌を始め、輝く瞳で棚を眺めている。

 

わたしは うわのそらで あなたのことを おもいだしたの

そして あいのうたが ひびきだして

わたしは あいのうたで あなたをさがしはじめる

 

 

目の前にはファンタジックなチャイナタウンが広がり、荒れた大地にはためく布と、人のいない国道の情景がごちゃ混ぜになって展開していた。

 

 

「脚立を取らせてください」という店員の声で我に返ると、そこにあの二人の姿は既になかった。

 

 

なぜか手中には、いつ棚から抜いたのか覚えていないレイモン・ラディゲ「肉体の悪魔」新訳版があり、黄色い表紙にフィリップ・ジェラールが微笑んでいた。

 

 

珍しく細めの帯が嫌じゃなかった。

 

 

ぼくらは黙ったままでいた。それこそが幸せの証拠だと思っていた。

ぼくにはふたりが同じ瞬間に同じことを考えているという確信があったので、こんなに近くにいて何か話をすることなど、ばかげたことに思えたのだ。ひとりでいるときに大声をあげるようなものだと。

新訳「肉体の悪魔」

レイモン・ラディゲ著 松本百合子訳  アーティストハウス p.62

 

 

 

 

いつか、無言の喫茶店にも必ず。

 

 

 

 

すわってほる

ダンボールを一枚敷いて

正座に近い格好をして

座って待つオヤジさんがいた。

 

頬は少し赤い

ダンボールの前には質素な器が一つ

小銭は入っていない

雨に濡れない場所を選んで

正座に近い格好をして

座って待つオヤジさん

 

長くすると

腰を浮かせる

 

月日は流れ、夏が来た

 

正座に近いオヤジさん

割と涼しい場所をみつけて

今日も座っていた

しかし、正座に近いオヤジさんが

以前までのオヤジさんだと思ったら間違いだ

 

正座に近いオヤジさんは彫刻刀を持ってきた

 

今日もやはり、少し顔を赤くして

大地と自身との接点に一枚のダンボールを挟み

座った

そして、取り出した彫刻刀で平板を削り始めた

 

平板にはシンプルでやや幼稚なニュアンスに仕上げた下絵

色鉛筆で一部を彩色して塗り分けてある

 

 

あまりの暑さに早仕舞いしたいくつかの店

 

 

喫茶店へ

 

路上の車から声をかけられる。

向くと、運転席にいつもの人。

開けた窓から何か話しかけているけれどうまく聞き取れない。

無人の助手席、その後ろ、黒いスモークがかかって中の見えない場所から命令があったのか慌てて車を移動させるいつもの人。

暗闇からダースベーダー。

 

お茶。離れた席にバイリンガルの若い二人。

流暢な英語の合間に「Fukushi」「Kaigo」といった日本の単語が挟まる。

バラの生垣に椿一輪。

チョコレートケイキ。一生懸命クリーム。底の分厚いバカラのグラス。縦線と光の世界。

 

昨日帽子が落ちていた広場。

 

改装中という怪獣が次々と売り場を飲み込んでいくデパ地下。

魚屋さんと八百屋さんが同時に飲み込まれ、次に生ジュース屋さん、そしてあくる日には自然食品店が。

夏の間にビル全体がこのナマコ怪獣によって輪廻を果たすか。胴体には「関係者以外立ち入り禁止」「休業中連絡先」の張り紙。

 

ヨーグルト98円。

 

星空。

 

無用アンテナにぶら下がったケーブル、

夜風で鉄足に触れ、風鈴の音色。

 

朝のこと

 

ほぼ同時に発せられる、神輿を担いだ祭りの掛け声。しかし、一人の声が必ず耳にはっきりと届く。その人物の声の周りにその他大勢の合わさった声がある。

グレーの中に一点混じった黄色。

 

ひとが生きる窓の灯り

 

そして、天使がオジサンだった場合

それでも人々は天国へ入場するのかどうか