口内金曜日

ニン

 

味の無くなるほど舐め転がした梅干しの種を、舌と上顎できつく挟み、強く吸い上げて真空にする。

中から梅の体液がゆっくりと滲み出してくる。

 

銅のたらいに水を張り、打ち水をする為に玄関へ。両手塞がりでドアノブが回せないことに気が付く。右の小指と薬指でこちょこちょと試みる。

たらいが揺れて水こぼれる。

 

郵便局へ行かねばなのだけれど、熱風に室外を歩く気が起きず十五時には間に合わない。かわりに夕刻を待ち、閉店間際の古道具店を覗きに。

風が強かった為か、取り外されていたランプシェードが台から落ちた音がした。

席を外して物陰にいた店主が戻って来てこちらを見た。

 

 

喫茶店へ

 

坂道で友人に会い、共に登っていくと別の友人が降りて来た。

果物屋さんで季節外れのイチゴ。そのまま冷凍庫行き。氷のトレイに一粒ずつのせ、氷として食べる予定。

 

温かい飲み物と冷えた店内。いつもの人。ハムののった鶏肉。

子供がプリンを上手に食べた。ピーマンは嫌い。

 

頭に「趣味の店」とタイトルの付く店舗の「趣味」とは一体何を表すのかという話。

 

寂しく転がったピーマン。水のおかわり。コーヒーに出会ったのはいつか、タバコは何歳から吸っていたのか。

 

 

古書店へ

 

表紙絵に斜視の人物が描かれた古典戯曲を一冊、他。

ブックオフが本好きに愛されていないように感じる訳は、店員が本好きだとは到底思えないところと、値段のシールがとても本好きとは思えないところ。

 

スーパーへ

鮮魚から精肉コーナー、乳製品に到るまでビックリするぐらいの品薄加減。陳列ヨーグルトに隙間と傾き、事件の香り。明日沢山売るつもりなのか。

 

日中は頭痛。保冷剤を二つタオルに挟み頭に巻いてみた。目の下できつく巻き過ぎて前が見えない。

 

今日も合間に他人の日記を読む

 

現地は今、2010年の4月。近所での花見が盛り。

 

風呂に入ったとたん、パカパカと電気がついたり消えたりしているので、いっそのこと消してみた。洗面所から届く薄明かりだけで湯舟に浸かっていると、いつもよりお湯の音がよくした。

「今日もいち日、ぶじ日記」  高山なおみ著  新潮文庫 p.188

 

この一年で一度も開くことのなかった本が棚にあるということについて。

彼らはいざという時にさっと出動できる態勢ではある。それはなんだか消防士のような。棚から住人の文明劣化を守るために準備された精鋭。

 

もうひとつ。

 

一度読んだきり気になってめくるでもなく何年も放置されている本。古書店へ持ち込むわけでもなく、友人へプレゼントするでもなく棚に残っている。

それらは祖父の時代に、来客を圧倒する為に居間に陳列された全集の類では勿論なく、かといってカフェに置かれた得体の知れない洋書の束でもなく。

 

一体どういうモチベーションでそこにいるのか。

古書の間を行き来する白や赤の矮小な虫。

 

電話がかかって来て月曜日に約束が一つ。忘れないようにしなければ。

「すべては太陽のせいだ」などと叫んだところで頬を緩める人ばかりではない。

 

昨晩は夜風に当たりすぎたのがいけなかった。今宵は窓を閉じ気味にして眠る。

次の午前中は冷凍イチゴを摘んでから郵便局へ行くと暗示をかけつつ。

 

 

 

甜瓜の一滴

メロンでも食べるか

首を振らない古い扇風機が唸っている。

濡れた髪を包んでいたタオルが膝下に丸まり、頭を冷やした保冷剤が二つ、ぬるくだらしなくなって転がったまま。

 

メロンでも食べるか

 

本を読む、尻が痛くなるまでは地べたに座ったまま。それから寝転がって続きを。

置いてあるノートの類が開け放った四方の風でめくれていく。

コードが渦をまいている。

今はなき、窓際のカーテンのことを考えている。彼は陽にあたり過ぎて薄くなり、先週破けたのだった。

 

メロンでも食べるか

 

プロペラで強制的に起こした風と、どこからともなく辿り着いた風の違いについて。

 

メロンが大き過ぎるので、半分に切ってそのまた半分を今食べよう。そして残った側を直ぐに摘めるように、さいの目に切っておこうか。タッパーがいるな。

 

私はトイレでしゃがみながら(これから何回も、このトイレを利用するだろうか)と、自分の心に確かめてみた。もしもそんな気がしたら、ここに住むことになるかもしれないと思って。けっきょく分からなかったけど。

 

「今日もいち日、ぶじ日記」高山なおみ著 新潮文庫 p.78

 

日記の本はいつ読んでもいいし、やめて別の日から続けたとしても大事はない。ミステリーをすすんで手に取らないのは、種明かしのためだけに言葉が使われる時間をなるべく掴まないようにするため。

 

メロンでも食べるか

 

半身をそのままスプーンで頂き、残りの半分はタッパーに。それでも入りきらない分はコップに重ねそのまま冷蔵庫へ。

 

猛暑日。

 

独りの用事は誰に断りなく中止して、部屋に閉じこもっていればよいので死なずに済む。

 

カスバの男を久しぶりに買った。(こう書くと文字は一瞬いかがわしく響く)

 

僕が人物やら風景を描く場合、━中略━ 実際の位置関係などは結構適当である。━━この「適当さ」が僕の場合すごく重要で、緊張感が高まれば高まるほど、それに反比例して「適当な抜き間」のタイミングのような感覚が起こる。

「カスバの男」大竹伸朗著 集英社文庫 p.68

 

 

モロッコへ行く前に「カスバの男」や「ジャジューカ」に出会っていれば良かったと束の間思う。しかしやはり、それを知る前に無垢の状態でモロッコを体感したことはより重要だった。

立ち回りは下手くそだったけれども、忘れられない強烈な印象をそれは残した。つまり、何も知らないという二十代唯一の財産を持っていた。

 

メロンでも食べるか

 

喫茶店へ。

 

いつもの人。車のトランクに入りきらない大きな木の箱を部屋へ運んだ話。

向かい側で、メロンの話が進みつつプリンが頬張られている。

カウンターと小窓の留め方。木と釘を見て撫でる。

帰り際に自転車ですれ違った人、ほんの少し会釈をしたような気がする。

 

 

夜風が気持ち良い。

 

昼間暑くなって計算の遅いパソコンと、ボぅ〜として何も進まない人間の脳。

夜、やっと正常な動き。

窓を開けているけれど今のところ蚊が入ってこない。

寝る前には閉めるつもり。

 

歩いていけるところに、図書館が二箇所と書店・古書店、本の店が八軒あるという事実。

 

パンがあるのにパンを買ってしまったので夜ご飯はパン。

生ハムとチーズが安くなったのはなぜか。

 

寝る前にメロンとヨーグルトを混ぜて食べてみようか。

それとも明日、昼の真っ盛りにアイスクリームを買い、一緒に食べようか。

いや、むしろ明日に備えて冷凍してしまおうか。

 

モロッコの西側、エッサオウィッラという場所でメロンは当時一玉50円位だったと思う。

まだ機内持ち込みさえ可能だったアーミーナイフでそれを真っ二つに割って、小さな匙ですくって食べた。部屋は風の通る二階だか三階で、木枠のついた窓を開けると眼下に旧市街の小道が見えた。

借景の土壁と屋上アンテナを向こうに、水っ腹になった体で広いベットに倒れ込む。土産物屋の流す現地のポップスを聴きながら午睡を始める。

 

 

━━もしかしたらここは、私たちの大好きな「気ぬけ」の場所なのかもしれないな。

 

「今日もいち日、ぶじ日記」   高山なおみ著   新潮文庫

 

 

 

しばらくして起きると、滴ったメロンの雫に蟻がいる。

 

 

 

 

接木する記憶

幼少の時分に

カブト虫展覧会に連れて行ってもらったことを忘れずにいます。

ヘラクレスや見たことのない外国のカブト虫が沢山いました。

生きているもの、標本になったものなど。

背の低い子供の世界に、それはジャングルに迷い込んだような印象を与えました。

夏の休み。

 

それは東京でした。

 

 

 

 

今日は渋谷で五時

ではなくて日比谷で六時半、又は十五時半でした。

 

大きな曲線を持った建築途中のビルを見上げたのは二年前でしょうか。

今そのビルは完成していました。

シネマコンプレックスタイプの映画館と屋上緑化的なテラスガーデンがあります。

それから、イエローなんとかというパリ発写真ショップ。

本屋さんと床屋さんとカフェが一体化したスペースと、水色の明るいシャツに丸眼鏡をかけ、カウンター越しに中々入ってこないお客さんを睨む店主のいる店。「眉間に皺ショップ」と名付けよう。

 

つまり立派でお洒落な場所になっています。

 

先日、カーテンが破れました。

 

一昨日、ジャムが終わりました。

 

帰りの電車は座れました。

 

動画の途中で眠りました。

 

東京湾にクジラが出現しました。

 

ティッシュから二枚ティッシュが出てきました。

 

些細な思い出のある場所。

紛れもなく誰の人生の害にも徳にもならない当たり障りのない小さな、しかし忘れることの不可能な出来事に感謝したい。

そうは言いながらも、現実にはあっという間に忘れてしまういくつもの日々をメモしておく。

住んでいる町の路肩の小さな石に一瞥をくれることで、その街角は日々再生される。