コロッケの前の階段

時折思いませんか?

あの人の好みを形成したものは一体なにから来ているのか、と。

 

たとえば、ずっと機械時計の中身が気になっているひととか

あの人のコールドプレイ好きな耳がどうやって生まれたのかとか。

 

この間、とても面白い話を聞いたのですが

忘れてしまいました。

 

時折、句読点の付け方がおかしくありませんか?

という声が聞こえてきますが、

いらない場合は、文法に逆らってでも要らないので許して下さい。

 

去年の終わり頃、とても幸運なことがありました。

それは、とても珍しいことのように思えました。

発見した当初の驚きというのはいつでも誇大な印象をうけるので、数日待ち、

数週間が過ぎ、いやもしかしたら数ヶ月が過ぎました

 

私の記憶ほど曖昧なものはありません。

 

とにかくしばらく待ってみても、やはりそのことは幸運だと思われたので

一定の信認を得て今日、書いてみます

 

 

「ローズマリーの細い葉の上に鳥のフンが立ったの」

 

 

 

世間はコタツの上でのんきにミカンでも剥きながら、

「あら、お父さんちょっと見て、茶柱が立ったわよ」

と、

銅メダルくらいの日々の幸運に喜んでいるところでしょうが

すいません

それどころではないのです。

ローズマリーの、あの細長い一枚の葉の上に、名もなき鳥のフンが一プン直立したのです。

 

聞こえますか、深海2000

 

「あー、あーー、こちらx4tjox▼□..」

 

なにかを伝えようとすると、どんな手段を使ったところで大抵はノイズが入り、コチラが思っているほどには正確には伝わらない

 

「コンピューターや機械はノイズをエラーと受け取るけれど、人間の脳はそれを揺らぎとしてそのまま処理する」

と、ロボット博士が言っていたような気がする。

 

であるとすると、人間にとってノイズというのは本当は存在しなくて

ただ、揺らぎの慣れや違和感があるだけなのかもしれない。

 

なぜ、ノイズの話になってしまったのか自分でも良く分からない、

そうだ「揺らぎ」のせいにしよう

これからは「揺らぎ」で生きて行こう

 

友達は揺らぎ、ペットはコオロギ、オレの父ちゃん昆虫博士

 

 

 

もう鳥のフンが立ったとか、それがどれだけ貴重なことかとか、どうでも良くなってしまったのではありませんか?

そう思います。

実際証拠写真も撮りましたが、このラッキー感、幸福感はどんなに説明したところで私が感じたほどには他者には伝わらないでしょうし

 

 

それではジャガイモの話をしようじゃないか

その前に横須賀で一番美味しいカレーライスの話をしよう。

 

 

答えはスローガンズだ。スローガンズという店のカレーが横須賀で一番美味しい。

 

彼のカレーライスは次元が違うので、一口目に「うまいっ!」とはならない

感じるのは「違和感」もしくは「薄いかな」という「?」

私の舌は鈍感な上に一般的なカレーのルーに慣れてしまっている。

はっきり言うと濃い味カレー風味で洗脳された舌になっている。

それが悪いとも思わない

 

しかし、スローガンズのカレーは巷の「横須賀海軍カレー」よりも忘れられない。

 

二口目でもまだ分からない。いや、受け取るひとによっては「これカレー?」となるかも知れない。

そして三口目あたりで、やっと気が付く

もしや、この数十年間もの私の人生は、カレーのルーという洗脳に欺かれていたのかも知れないと・・

「スパイスが攻めて来る、」では間違っている

そんなに激しいアタックはしてこない、むしろ人とおしゃべりしていては気が付かないで飲み込んでしまうくらい繊細ななにか

 

「霧雨?」

 

そして消えている

 

それではジャガイモの話をしようか。

いや、食べ物の話ばかりするのは好きじゃない。

 

 

映画の話をしよう。

 

 

先日、大島渚監督の処女作を知人たちと観た。

「愛と希望の街」

それに続けて「二階の他人」という山田洋次監督の処女作も観た。

見終わった後に先輩方と談義をして、企業の資本で映画を作るということ、そして映像作家として生きるということがどういうことかを知らされた二本立てだった。

その中には大島渚監督が殴られた会見現場に立ち会っていた大先輩もいた。

先に生きている人って、かなわないな。

 

映画の内容や談義について言葉で伝えられる程の文章力がない。

だから、やはりジャガイモの話をしよう。

いや、ジャガイモのレシピにしよう。

 

私は、主婦に向けてこのレシピを書くわけではありません。主婦は天才で、そして日々の秀才です。

毎日、誰かの為に食事を作る主婦は別次元の人です。尊敬以外ありません。

 

私は、自分がジャガイモがこんなに好きだったとは数十年知りませんでした。

 

だから主婦ではなく一人で、コンピューターの前でうたた寝しながら今日の夜ご飯は何にしようか考えながらYouTubeを観たり、ブログを書いたりしている料理が億劫な独りの人間。ヘタするとコンビニで買ったブリトーで何日も過ごしてしまうことを許す面倒くさがりな、そう私自身に向けて書いています。

 

 

〜「コンピューター前の君のジャガイモ」レシピ〜

 

材料

・「2018年1月29日の北あかり」というジャガイモ

・オリーブオイル

・塩

・良い鍋

・石油又はガス・ストーブ(鍋を温められるもの)

・水

 

①2018/01/29北アカリを袋から勢いよく取り出す。取り出すというより袋をぶち破る位のパワーで開封すると雰囲気が出てよい。

袋からジャガイモが転げ落ちたら尚良い。その際は「あら、まぁ」と独り言をいいながらカリフォルニアの坂道で買いたてのオレンジが袋から転がってしまった女性を演じること。

 

②良い鍋蓋付きを出す。蓋の埃ははたいておくか口笛式に吹き飛ばす。

底の厚い鍋が焦げなくていい。鼠をひっぱたくのにも使えるのでebayでドイツかフランスの物を買うといい。

 

 

③良い蓋付き鍋鼠叩き兼用にオリーブオイルをひく。揚げるには少なく焼くには多いかなという量にする。

 

 

④早く食べたいなら4mmくらいに薄切り(又は厚いポテトチップスといってもよい)の幅に切る。別に時間はあるという場合はゴロゴロと乱切りしたほうが掻き混ぜたり取り出す時に崩れない。

 

 

⑤オリーブオイルをひいた良い鍋に、切ったジャガイモ、2018/01/29北アカリを入れる。皮は剥かないけれど、芽は学問的医学的には取った方がいいみたいだ。知らん。

 

 

⑥塩を振る。出来上がったらもう一度振るから少なめでいい。ただ理科の実験的に塩を振った野菜は水を出すから振ってみるだけである。

 

 

⑦良い鍋の蓋を閉め、ストーブの上へのせる。

 

 

⑧パソコンを開く。ブログを書いたりFacebookで「主婦っていうのはなんでこう料理の写真ばっかり上げんのかねぇ・・」と独り言をつぶやく。

 

 

⑨「アンタ芋ね」というほのかな香りがしてきたら時折、ジャガの上下を混ぜる。Twitterのフォローワーを入れ替えるような気持で清々しくも大胆に行う。

 

⑩ジャガイモ・フォロワーの上下入れ替えを適時行いながらブログを書き終える。又は普段「いいね」しないひとのFacebookにも片っ端から「いいね」しておく。(後でジャガイモレシピに反応を貰うため。)

 

 

⑪北アカリ2018が全体的に透き通ったら、Facebookの人間関係がどんなに不透明だろうと一旦鍋を火から外し、味見してみる。恨み節を唱えながら串かお箸で指してみてもいい。

 

 

⑫火が十分に入っていそうなら、器にジャガイモをあげて塩を振る。この塩は味を決めるので気持ち強めに振る。軽く混ぜる。

 

 

⑬キッチンに立ったまま二三個試食する。「うめぇ〜、あんた天才かもしらん」と自我自賛する。大して美味しくなくても二三回は叫ぶ(自己暗示)。

 

 

⑭入れて置いたコップの水を飲む。むせないため。

 

 

⑮マヨネーズや胡椒は「ジャガイモが土の中で育んだ微かな香りを消してしまうのよね」とスノッブな雰囲気で口ずさみ、そのまま食す。飽きて来たら「ゲスの極み乙女ってなんであんなにモテるの?」と質問しながら何でもかける、チリスパイスもガーリックパウダーもマヨネーズもサンバルソースでもいい。

 

 

⑯「独りって寂しいわ〜、でも楽だわ〜」と数回繰り返し呟きながら洗い物をする。前後はどちらでも良いが、「寂しいわー」で終わると辛いのでなるべく「楽だわー」で仕舞いにする。

 

 

⑰Facebookやブログに投稿した自分のページをチェックして、「いいね」をしてくれない知人たちに舌打ちしつつ「なんでこう料理の写真ばっかりあげるかね〜」とかグチってみる。

 

おしまい。

 

幸運にも庭にローズマリーがある人は途中で鍋に投入しても良いかもしれない。

しかし、世の中Luckyの裏側にはshitが隠れている場合があるので充分注意する。

 

 

『The Noise+plus』2017.12.17sun

音とは何か・・

 

雑音とは何か・・

 

和音とは何か・・

 

無音とは・・

 

冷蔵庫の唸る音

自転車のブレーキが軋む音

オリーブの小枝が窓のガラスを撫で

配管工がパイプを切るのは

耳を塞いだ時に聞こえるオームの大群が攻めて来るような血潮のざわめきは

 

雑音か

 

ノイズとは何か

 

 

 

 

爆音ノイズからアンビエント寄り、実験スタイルの即興演奏まで広義でのノイズ『音そのもの』を探すバンドが集います。

横須賀でそんなライブを開催します。

 

The NOISE+plus  12/17sun

【出演】

Ojum
「Merzbowや中原昌也に影響を受け、東京をベースに活動中。映画「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」のライブシーンがライブをする上での目標の一つ。」  

 

 

Son&PankillyGirls

「通称 ”パン切り” 横須賀を中心に即興や実験を踏まえた拡張音楽のライブ活動を展開中。」

pankillygirls.com

 

 

BLIND SPOT

「音/音楽の境界を横断しながら東京を中心に不定期で活動」

 

and more…

 

 

会場:Little Amsterdam   横須賀市本町2-16 武田ビル一階

日時:2017/12/17 sun  18:30開場

Charge: 近日発表  500円

お問い合わせ先:info○nisico.info  (○を@に変えてメールして下さい)又は直接お店Little Amsterdamまで。

 

 

何かが混入する・・2017/12/17 sun

 

 

2017.11.4は・・ドブ板にいるよ

バナナを皮ごと凍らせてしまったnisicoです。

 

ふと見上げた壁や柱に小さくて不思議な模様があり、一時目を留める瞬間があるものです。

その模様は柱の表面を伝わった雨水や何かが残していった、なんてことのない染みであったりするのですが、それらが暫く頭から離れない印象を置いていくこともあります。

 

小学校の好きな授業は冷凍ミカンでした。

 

古い時代の建物に入ると、何十年、何百年とその屋根や構造を支えてきた柱が目に入ります。柱自体が現実的に建物を支えてはいるのですが、その一方で柱の表面に残った小さなキズや染み、僅かな異変、何万人の手が握った手摺や角の黒光りもやはり同じ年月を支えてきたのだと感じずにはいられません。

 

人の表面にはホクロがあって、その固有の位置やサイズ、配分が、本人が意図しようとそうでなからろうと表情の個性を支えている。

手の平にある細かな傷は、よく見なければ誰も気が付かないような場所で無口に歴史を物語る。

時代から消え去ろうとしている公衆電話のボックス。数十年前にその金具に引っ掛けて残ったキズが中指の付け根にある、というような。

 

さて、

 

ということで来る11.4(土)に横須賀はドブ板通りで開かれる歴史あるフリーマーケット『ドブ板バザール』に出店致します。

 

 

*絵と実際のドブ板バザールは一切関係ございません・・

 

少年の頃、そこは米軍放出品の固形燃料や薬莢、小さなナイフ、古銭、得体の知れない金具や工具、古い異国の写真に胸をときめかさせた場所でした。

 

土曜日、冷やかしに来た少年が何十年も忘れることのない何かを持っていかなければ、と思いながら荷物を整理しています。

時間を冷凍したようなモノを木箱に詰めて持っていくつもりです。

 

*記事中の絵と実際のドブ板バザールは一切関係御座いません。

**ドブ板バザール本体は11/3~5まで開催です。