新しい冷房器具を発明しました。

その一【被疑者の告白】

街はいつもより静かで、昼過ぎだというのに誰も歩いていないような空気だった。

蝉の声だけが響いていた。

その日は、横になっても、縦になっても暑く、そうするより他に仕方がなかった・・

 

「これはアイスクリームを買いに行くしかねぇ、」そう思ってしまったのです。

 

家から近いスーパーで明治のスーパーカップを手に入れることに決めました。

 

「どこでも良かったんだ、アイスさえ買えれば。」

 

しかしながら現場について気付いてしまった。これは、あまりに暑いので帰り道で奴さん溶けちまうぜ。

 

オレぁ、係のもんに目配せしてドライアイスを一握り手に入れたんだ。

 

その二【ドライアイスの憂鬱】

 

アイスクリームだけじゃなく、他の買い物も含めて熱気にやられないように段ボールで持って帰るという念の入れよう。

わかるかい?

 

その三【帰宅と発見】

 

それで、蒸し暑い部屋へ帰ると一息にアイスを食べ終えた。

そこまでは、良かった。だけんど、オレぁ、気付いちまったんだよ。奴さんによ。

『キンキンに冷えたまま残ったドライエースさんによ(ドライアイス)』

 

横を見りゃ、段ボール、手元をみりゃ冷えたドライアイスがあるじゃねぇか。これでピンときたね。

そうだ、

 

足湯だ。

 

しかもホットじゃなくてコールド足湯。

早速、ドライアイスをガラスの容器に入れて水を注いだんだ。

 

 

段ボールに足を突っ込んで、冷気を満たせばコールド足湯コーナーの完成・・

と思いきやなんかイメージと違う。

 

 

煙が、出て来ない。

水のバランスが悪かったのか・・

ちょっと間抜けな感じになってしまった。

それじゃあと、ガラス瓶を傾けて足に冷煙を流してみる。

左・・

 

 

右・・

 

源泉かけ流しだけど・・

なんか、違う。

 

その四【計画に妥協は許されない】

 

急遽、ガラスの容器からドライアイスを取り出し、ビニール袋に手際良く入れる。

平たい皿に載せてビニールの中に水をかける。これで煙が流れていくだろう。

ほら、

 

そして、遂に・・

 

 

完成したのだ、一人段ボール・コールド足湯が。

 

指先が濃霧で見えないではないか。素晴らしい。

 

 

足で袋を揺らしてみると、一段と濃い煙に包まれる。

ほーーーっ、ほっほ〜〜

 

 

 

しかしながら、ドライアイスの命は短い。

つかの間の足湯に別れをつげるときがあっという間に訪れてしまった。

 

 

悲しみの素足

さらばだ、段ボール・コールド足湯よ。また次の猛暑で会おうぜよ。

 

良い子のみんなが真似したいならすればいいさ。だけど気を付けなよ。

揺らしたビニールから水がこぼれて段ボールの下に染みているのを発見した時のげんなりする気持を。そして、それを雑巾で汗かきながら拭き取るときの体温を。

しかも写真を撮るとなると、思った以上にやることだらけ。ドライアイスはどんどん溶けていくし、はっきりいって「涼しむ余裕などありません!」

 

教訓

『新冷房システム 段ボール・コールド足湯』は旦那さんか奥様、または召使いに支度を任せ、座って待っているだけでよい貴族階級向けの非常に優雅な冷房設備であります。

新鮮なドライアイスが手に入った折りには、是非お好みのチャンネルに合わせたテレビの前に段ボール箱を用意し、ゆったりとした気持でお試し下さい。

 

2017/08/25

 

 

唇で音が

ザリガニを探して持って帰るというたったひとつの理由で何時間も泥んこの中にいられた。

親切だと思っていた人が立場が変わると急に意地悪になった。

昨日まで気に入っていたモノや人が次の日の朝には嫌いになっていた。

変わる。

天気よりも激しく変わる。

 

秘密の関係がある。

秘密じゃない関係がある。

秘密にしておくしかない関係がある。

誤解がある。

誤解じゃないすれ違いもある。

消化という時間を必要とする出来事。

理由より強い刺激。

 

左右が逆のままの靴で歩くときのような心持ちで過ごす日がある。

晴れているのに寒い。

不思議な風

その始まりと終わりの住処さえ知らずに一生を終える

くもが逆さまに飛んでいく

トランペットの音が聞こえる

普段の笑顔や笑い声からは想像しえない

静かで暗く、ゆっくりと

深く突き刺さった闇の煙突から、トランペットの一音が這い出す

もがきながら皮膚を流れおちる雫のように、それは響く

 

 

 

 

 

 

無いものにもワケがちょっとだけある。[note]

暑いからといって肩を出して眠ると寒く、かといって全身を布団で覆うと暑苦しいので掛け布団を横にして寝ています。

爪先と顔が出ている。

 

 

 

 

 

ノートを買いました。

 

紙もの結構好きです。一般にいう大学ノートというのは余り好みではありませんが。あれは、横に均一な線が全ページに渡って引かれていてるのを目にするだけで「ウゲっ」と思ってしまいます。

なので、無地か薄い格子状(方眼)のノートを選びます。

「格子はいいのか」

いいんです。縦線だけとか、横線だけだと先行きを決められているような気がしてしまいますが、格子にはそれがない。

格子だと横に行っても縦に行っても許される気がするのです。

左の事務所では左寄りの話が求められ、右寄りでは右の話が。それで中道の事務所へ行くとどちらの話もまぁある程度は許される、というと例えとしては少し安易かもしれませんが。

ともかく、格子はどちらに進もうと味方がいるという雰囲気がある。

 

で、

 

無地はというと、これはめっぽう自由なんだけれども、大自然のような恐ろしさもある。アラスカの海上とかモロッコ南部の砂漠、オーストラリアの荒野に一人取り残されたような自由。

 

「どっちに行ったっていいけど、あんた、帰れんの」

 

 

 

 

そう突きつけられている感が無地の両面に広がっている。最初に筆を下ろす(といってもボールペンやインクペンなんだけど)その場所や図柄、文字の大きさ、書き付ける内容によってノートの行く末が決まる。

けれど、一旦書き始めてしまえば、仮にノートを閉じたとしても過去の記述が行き先案内板となって進むべき方角をある程度指し示してくれる。もちろんそれは到達点の目印ではないので、砂漠のオアシスのように前方の目標になるわけではない。

ただ時々振り返ると「ああ、あそこに草生えてたな」ということが思い出され、「この先もきっと何かしら生えているだろう」という無責任な安心感を与えてくれるに過ぎないのですが。

しかし、その案内板にはこう書かれているはずです。

 

「迷える!道のあるあいだは」

 

実のところただ、ノートを買っただけなんです。

走り書きだとか、初めて聞いた音楽や本の題名だとかを書き付けておくだけの紙です。メモです。ほんとにただのメモなんで、書いて一ヶ月もすれば何を書いてあるのか思い出せなくなることも多々あります。

例えばある紙には「中国人の塩と黄金」と書き付けられたメモがありますが、今となってはなぜそれを書いたのか覚えていません。若干金儲けの匂いがしないでもありませんが、今更採掘できるほど当初の記憶がないのです。

別のページには

 

「ジャムにカビが生えた」

 

だからなんなのよ。です。

さらに先へ進むと、

「よかった、一口残ってた」とだけ書いてあります。いったい何が残っていたのか逆に気になります。

 

 

まぁ、そんなようなノートなんです。

 

本当はモレスキン社のノートが欲しいです。書き易いし紙質も好きです。それに、オーストラリアの先住民をルポタージュした「ソングライン」や「パタゴニア」「どうして僕はこんな所に」といった名著を記したブルース・チャトウィンもこのノートを愛用していました。それを知った時は嬉しくなったものです。彼はモレスキンが一度倒産したときに、手に入らなくなっては困ると、文房具店でまとめ買いしておくほどこのノートが好きでした。

そして、旅先でモレスキンのノートへ文や取材メモを書き付け素晴らしい本を生んだのです。

その本はどれも大好きでほぼ全部読んだ。当時は高過ぎて買えなかったから図書館で借りて読んだ。だから思い出してみると家には一冊もチャトウィンの本がない。これは寂しいことだ。

 

そうだ、せめてノートはモレスキンを買うべきだ。

 

勇んで文房具店へ行き、ノートの棚を眺める。もちろんモレスキンがある。

 

そして、モレスキンは今日も高い。

 

下の段にはツバメノートがある。ツバメノート株式会社謹製。MADE IN JAPAN。

 

そして、ツバメノートは今日も安い。

 

 

 

 

 

紙質も決して悪くない。燕、嫌いじゃないし。

そして、ツバメノートがまた一冊増える。

ということで我が家にはブルース・チャトウィンの本もなければモレスキンもないのだ。(本当は空港の両替で余った外貨コインで買ったメモ帳を持っています。)

 

 

 

あぁ、モレスキン、モレスキーネよ。君が旅先で倒れていたなら私は喜んで君を救い上げるだろうに。

 

よし、来月こそはモレスキンを買うぞ。いや、燕が南へ旅立つころまでには・・