お腹にドーンとくる

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相方が四歳の子供に「大きい花火って、お腹にど〜んときて不安になるよ、トイレ行きたくならない?」と、花火へ出発する三十分前に言った。四歳になる友人の子供は急に心配になってしまったらしい。不安な顔をして父親の足の間に挟まり、お家で待っていようか考えている。
彼女は結局、家にあった小さなミニクッションを持って行くことになった。それをお腹に当てていれば大丈夫だからと、相方が説明したのだ。


もっと近くに見えるはずだった花火は見当を誤り、遠く、下の方は見えなかった。誰もいない真っ暗な海岸に四人で座り、砂浜に潮が行き来する音を聞きながら花火を眺めた。
四歳の子はお腹に小さなクッションを抱えたまま花火を楽しそうに見ていて、時折クッションを咥えたりしていた。
全くもって静かな海。一本の邪魔な街灯以外はそんなに悪くもない場所だった。

花火が止み、歩いて家へ帰った。適当な夕食を拵え四人で食べた。その後で扇風機の正面で相方と子供が「ワレワレワ宇宙人ダ」ごっこをしていた。カメラを出そうか考えながら、その幸せな時間をのんびりと眺めた。
最後に僕の作ったミニチュアの木の家と車の模型でひとしきり遊んでから「今日はお泊まりしないで、お家で寝ます」と言って四歳の子はお父さんと帰って行った。来年はもう少し近くで見ようね。
八月最後の土曜日だった。

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たまには来たらいいよ

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風量1の静かな冷房。人通りの少ない部屋にいてパソコンのキーボードを叩いている午後四時。先に行っておくと、これは8月26日のことだ。


もうしばらくすると友人が遊びに来る予定で、ポップコーンとポテトチップス、ゼリー、それに夕飯用の野菜と炭酸とオレンジジュースを買ってある。友人は車に娘を乗せてくるだろう。四歳くらいだろうか。今日は夕方に花火があり、近所の海岸でそれを見物しようというのだ。彼らがその前か後で夕飯を一緒に食べるのではないかと考え、(我々の関係というのは、そういう細かいことを約束しないで人の家に行き来することがある)一応鍋に出汁を引いてあるし、野菜も肉も幸運なことに頂き物の鮪もある。あとは友人と娘を待つだけだ。彼女が暇を持て余したら、お絵かき用に画用紙とパステルと絵の具があるし、亀田の煎餅とゼリーと餡子もある。友人はコーヒーが好きなので、豆を切らしていないか後でチェックしなければだけれど今更なかったとしてももう手遅れだ。近所に豆屋さんはない。


昨日、普段はあまり訪れることのないスーパーマーケットへ寄った。平日の午後で人影もまばらだった。水の大きなボトルや小さいエビアンなどが常温で並んでいる棚の前に立っていた。しばらくして、妙に耳が気にする音を拾うことに気がついた。水の種類を眺めながらなんだろうと聴いていると、まるで上質なドローンミュージックのように、継続した音が幾重にも混ざりファ〜ンという雰囲気でかすかに響き続けていた。あまりに良い音なので、レコーダーを携帯してこなかったことを嘆きながらしばらく耳を傾けた。どうやらその音は水の棚の裏側にある冷蔵の棚から届いているらしい。多分キムチや豆腐やなにかを冷やしているコーナーではないか。もしかしたら玉子もあるかもしれない。


魚のコーナーを覗くと、柳蛸というぶつ切りのタコがあったのでそれを買った。この辺りの地ダコではないけれど、モーリタニア産よりマシだ。この辺りは地ダコが美味しい地域であるのに、自分で釣り上げない限りは、東京に行ってしまいほとんど街で買えないというのは悲しいことだ。


今日来る予定の友人は以前から花火観覧を約束していた訳ではなかった。たまたまその日の朝にメールがあり「今夜は花火だから来ませんか?」と誘ってみたのだった。
まだ暑さが酷い。娘を遊びに連れ出した友人は炎天下でくたくたになって到着するだろうか。部屋を冷やして待っている。あまり打ち上げにギリギリだとそのまま出発することになって、彼らも大変だろう。もしそうなったらポテチと亀田の煎餅を一人二枚ずつ持って出かけよう。海の淵で並んで夏の空を見上げる。たまたま朝、メールがあったのだから。

My 3G 濁点

激しい雨音が閉じた瞼の向こう、網戸越しに少し開けてある窓を響かせる。夜更け。吹き込むだろうかという微かな意識が、気怠く回る扇風機と暗闇を輪舞する。二、三度そんな朦朧とした世界を彷徨い、朝。

洗面所でうがいをし、キッチンのテーブルにノートパソコンを開く。

携帯電話という便利なものが世間に広まり、もう二十五年くらい経つだろうか。先日ついに3G携帯を引退することになった。二年ほど前から時折来ていた「お使いの携帯電話サービスが終了します」という封書。再び届いたので久々に目を通すと、残り五ヶ月で3Gは終了するとある。ついに半年を切ったわけだ。

かといってスマホを使ったことがないわけではありません。iPhone4sが発売されたときは驚きとともに購入し、興奮した。数年使用の後、彼が突然別れの画面(さまざまな色が溢れ、なんと美しい去り際だったことよ)を表示してうんともすんとも言わなくなってから再びガラケーに戻ったのだった。箪笥に眠っていた古い携帯を呼び覚ますように掘り起こした。充電を済ませ再起動すると動いた。まるで旧式の戦闘モビルスーツが、敵に囲まれたピンチの状況で再稼働するような高揚感があった。「お前生きていたのか」と感慨に耽る。「あぁ久しぶりだな」その黒光する小さな旧式携帯は傷だらけの顔をこちらに向けながらそう語っていた。

古い彼はメールと電話しか使えず、ネットも写真も撮れなかった。おまけにしばらくすると、押しても反応しないボタンがあらわれた。そのために濁点が打てなくなった。メールを返信しようにも濁点が打てないので、「て」と入力してから記号を開きその中の「”」を打って、擬似の「て”」を作り、「で」の代わりにするなどした。慣れてくると、過去に使用した履歴候補の中に「で」が表示されているのを再利用するようになった。

例えば「明日」と打つと次の候補に「です」だとか「から」だとか「には」といった言葉が表示される。その中から「です」を選び「です」の「す」と「明日」を消して「で」だけを流用するのだ。漢字は音読みと訓読みに頭をヒートさせながら濁点を使わずに変換できる文字を考えた。

今までおかしな濁点でメールを送っていた方々にはこの場を借りてお詫びはしないまでも、「そういうことでした」という報告をここにさせて頂きたい。

今日からは安心して濁点をお読みください。

そんな試行錯誤の使い方をしながら引っ張ってきた古い携帯電話。良い部分もありました。充電は二週間もつし、メールと電話以外に使い道がないので出先の喫茶店や電車の中でネットをいじることもない。むしろ短い外出なら持っていかないことも多々ありました。あらゆる接続から解放された心地よさといったらないわけです。

これからは足枷をはめられた代わりに、外でAmazonの注文が可能になり、小さな画面で映画を見たり、SNSに呟いたり、Facebookのメッセージを読んだりできるわけです。その代わり私はどんどん無能の人になっていくでしょう。この小道のどちらが正しい道なのか側溝や影や路面店の並びから判断することはできなくなり、風や虫や鳥たちの行動から天気を占うこともなくなり、濁点を探すために漢字の読み方を思い出したりしなくなるでしょう。

気温が上がってきました。そろそろコーヒーを淹れて朝食の準備をしたいと思います。さようならマイ3G。濁点の技術をありがとう。これからはスマホのメモ書きを出先からアップロードする日記が増えるかもしれません。その時にはあの雨粒のような「”」方式の濁点のことなどはすっかり忘れてしまうのでしょうか。
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