コーヒーを飲むと

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百年以上続いているわけだから、京都ではないわけだし、この辺りではやはり老舗というのが正しいのだろうお店へ会食に出かけた。初めて入ったが、それなりの値段がする割に街場の定食屋と同じような内装をぐるりと見回しながら冷房の風が直撃する席に案内され座った。
壁には芸能人のサインやら食品衛生責任者の証書やらフグ包丁師の証書やら市長だか知事だかの署名が入った賞状がかけられ、それに混ざって非常灯が四角い緑のマークが薄い光を放っていた。

感じの良い、これまた値段の割には居酒屋風の言葉遣いをする店員さんが砕けた口調で注文を取りにくる。感じの良いおばちゃんは黒いエプロンを正面に巻き、左へ奥へと動き続ける。

空調のファンが何かに擦れた音が不規則に響く中で食事を待ち、感じの良い黒いエプロン姿のおばちゃんがお茶や漬物を運んでくるのを待った。しばらくすると老舗の店のどうやら店主らしい佇まいの女将がメインとなる食事を運んできてぶっきらぼうに「御膳の方は?」とだけ言葉を発し、器を置いた。感じの良い黒いエプロンおばちゃん以外にもう一人、別の黒いエプロンをつけたおばちゃんもいる。女将だけがイヤリングをしていて、プリーツの入った白いツーピースの若干高級そうな私服に身を包んでいる。襟元には陽炎のようなごく薄い緑のスカーフを巻き。しかし女将はぶっきらぼうなので、ただでさえ感じの良いアルバイトのおばちゃんの感じの良さを一層上げることだけには人一倍成功している。

時折姿を見せる女将のぶっきらぼうさを肴に劇的にうまくもなければまずくもない食事を終えてビルを出ると、湿気過多な夏の宵をしばらく歩いた。会食したグループに「寄り道して帰るから」と別れを告げ、夜の喫茶店へ足を向けた。夏休み前の最後の出勤だったのか、イタリア料理店から団体さんが楽しそうに盛り上がる声が路上まで響いている。観光客らしい若い二人組の数歩後ろで信号を待ち、路地へ入った。

喫茶店でコーヒーを飲むと、満腹のお腹と空調ファンと女将に惑わされた頭が解放され、気分が落ち着いた。店主と当たり障りのない少しの雑談を交わして店を出た。路地を抜けて洋楽の爆音が溢れる繁華街を歩き、一杯だけなら飲める気がして酒場へ向かう角を曲がった。

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始動と停止

象の鼻はなんであんなに長いのか、憧れで長くなったんじゃないか、いや、面倒くさがりで椅子から立ち上がりたくないけどペンを取りたい、というような気持ちで伸びていったんじゃないか、ということを平日の午後の喫茶店で話していた。

出先からの帰りで、カバンには薄い布袋に包んだ玄米製のルバーブケーキが入っている。それと、古書店で購入した金井美恵子さんの文庫本が一冊。カメラ。メモ帳。ペン。

家族を病院へ送る途中の車窓で気になる張り紙を目にした。一瞬だったのでほとんど何も見えずに通り過ぎた。シャッターの外側に貼られているということに不吉な予感が走った。

家族を病院へ送った後で、Uターンをしてその場所に一人で戻る。ウィンカーをたいて窓へ顔を近づけてみたがどうも読めない。文字が小さ過ぎる。車を降り、歩道へ上がってシャッターに貼り付けられた紙を読む。パウチできちんと止められたそれは予感の通りだった。

若い頃から時折出かけていた古書店の閉店を告げる紙だった。店主さんが亡くなったことをきっかけに閉店を決めたと書かれていた。その古書店は木製の細い書架と、通路に古本が乱雑に積み上げられた部分があった。また一方でぐるりと店を一周回る通路には、壁沿いに書籍が理路整然と並んだ棚もあった。静かで激しい稀有な店だった。

車に戻り更地の角を曲がって病院の方へ戻った。入院していた家族を引き取りにきたのだが、「たった今、会計を終えた」ともう一人の家族からメッセージが来た。正面に車を回してくれというので、車止めの正面に乗り付け、少し待つと電話が鳴った。「どこにいるのか?」という催促の電話だった。正面にいる、と答えると、それは多分一般病棟で、こっちは入院病棟にいるとのことだった。サイドブレーキを下ろして発進し、入院病棟へ車を移動した。正面の入り口に家族が二人ペンギンみたいに立っていた。数メートル前に停まっている小型車の中で、後部座席の人物がおもむろに運転席を窮屈に跨いだかと思うと、そのままストンと落ちるように座った。小型車が出発した後で車を出し家路へついた。

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よいことがおこるひも

冷房で喉と体の芯まで冷やされた部屋。三浦市出身の人と話した。彼女によれば夏祭りに登場する獅子舞の獅子の髭を抜き、その髭を編んででミサンガのようなものを作り、足首や手首に巻き付ける。しばらく付けっぱなしにしておくと幸運が訪れる。というのが子供の頃にあったそうだ。

同じ部屋に他に二名、合計で四人が会話をしていたのだが、その獅子舞髭のミサンガ話を聞いた瞬間に心はカンボジアに飛んでいた。

もう二十年近く経つのだろうか?記憶だけでははっきり思い出せないが、友人と二人でカンボジアを旅していた。船やバスやトラックの荷台を乗り継ぐ過酷で素晴らしい思い出の旅だったが、とある海岸の町に辿り着きそこでミサンガを編んでもらったことがあった。

当時、出まかせに旅をしていた僕らはその海岸のある町へ夕方に着いた。ガイドブックもないままバスから放り出され、適当な宿に投宿し海へ出た。夕日が迫っていた。薄いピンク色に染まっていく砂浜に座り地元の人が服のまま水浴びするのを眺めたり、泳いだりした。見知らぬ土地での美しい日没。

翌日、簡単な朝食を済ませるとスクーターを一台レンタルし、二人乗りで出発した。いい加減な舗装の道を飛ばし、宿かバスの中で情報を得た綺麗な海岸を目指した。たどり着いた小さな浜には西欧から旅行で来た人々と地元の人が混ざり楽しい雰囲気に満ちていた。砂浜をフルーツの売り子などの行商が行き交い、座っているだけで食べ物や飲み物を手に入れることができた。

スイカだかパパイヤだかをたらふく食べ終えた僕らに、何度目かの営業をかけてきた幼い姉妹がいた。僕らはもう果物でお腹がタプタプだったので親の手伝いをしているらしい彼女たちの営業を断った。大して広くはない浜を往復しながらお客を探す彼女らは、しばらくしてまた僕らのところにきた。果物はいらないと伝えると、「それじゃミサンガを編ませて」とお姉さんの方が言った。

彼女たちの屈託のない笑顔に押されて僕らは日光を浴びながら手首を預けた。友人は足首だったかもしれない。片言の英語で当たり障りのないことを話しながら時間が過ぎていく。繰り返す波音と共に紐が組まれ、ミサンガが編まれていく。出来上がったミサンガは黄色と茶色と緑で、僕の手首にピッタリとくっついていた。「切れるまで付けておくと願いが叶うから」彼女たちがそういったような気もするし、そんなことは言わなかった気もする。

一日海岸で過ごした後、スクーターにまたがり帰路に着いた。気怠い体に風を浴びせながら、のんびりと来た道を走っていった。バイクで帰宅していく地元の人もみんなノーヘルで、車が時折横を追い越していく。それぞれの夕方が始まっていた。しばらく走っていくとバイクが一台横を並走した。それは先ほど海でミサンガを編んでくれた姉妹のバイクで、運転はお父さんがしていた。三人乗りだ。

並走しながら何か言葉と笑顔を交わした。わかれ道で彼女たちは左へ、僕らは右へ進んだ。どこまでも手を振っているような、振っていたいような感情がアクセルを回し、二人乗りのスクーターはスピードを上げた。なびく髪の影の下をアスファルトが一目散に通り過ぎていく。

それから帰国した後もしばらくミサンガを付けっぱなしにしていた。外すには切るか切れてしまうしかなかったし、思い出が詰まっていた。体の一部みたいに何も気にならないくらいずっと付けたまま生活していた。ある時、家族だか友人だかが「臭い!」と言った。「なんか手から変な匂いがしてる」ミサンガだった。濡れたり乾いたりしながら自分の体臭と混ざってそれは強烈に匂いを発しているらしかった。ただ自分だけがその匂いに気付くことができなかった。もっと早く教えてよ、と思いながらその日ミサンガを外してしまった。

何十年も経てば、旅先で出会った人々の顔を正確に思い出すことはできない。しかし、そこで交換した握手や空気や受けとった印象は、時を経て熟成した蜂蜜のように甘い結晶として体の中に色濃く残っている。三浦の獅子舞の髭が、あの時切ってしまったミサンガをもう一度繋げたような気がした。「来月は三浦夜市があるんですよ」という会話の続く向こうで、白い薄手のカーテンが静かな冷房の風に揺れていた。

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