七月三十日惑星の思い出

Episode one

アスファルトに引かれた横断歩道の白い線を、決して踏んではいけないという自己規制のもとで一日を過ごせた時期があった。逆に、踏まなければ家に帰ってはいけないと決めたマンホールの蓋が、魔法の様な力を持ち、法律を作った側を易々と乗り越えて服従させてもいた。

しかし、いつの間にかマンホールの不敵な笑みは消え、電信柱は何も語りかけてこなくなり、トンネル内の黒い一点の染みがスイッチではなくなり、帰り道の壁や影に潜んでいた物語の妖精は姿を消してしまった。

そして、そのことに気付くまでに何十年もの年月が必要だった。

 

 

 

 

 

 

花火

こちらを見ている羊

光りを透過した裏側からみる葉脈

何かの地響き

機械の奏でる音

蝉と曇り空、ひんやりとした風

ガラスの曲線に歪んで写った天井

色褪せた手編みのレース

時折窓に触れる枝葉

季節違いの鞄と上着

最後にひとり、横になったバナナ

積み重なった本の上のハンドクリーム

土汚れのついた静かなジャガイモの袋

 

燃え上がる生命

 

 

先日、土器を買った。

 

 

 

 

 

 

縄文時代の五センチほどの土器片。薄いベージュと内側は黒みの強い灰色て、表面には模様がある。

点々とした凹んだ細かな模様を縄でつけたのが縄文土器、というのを子供の頃に習った気がするが、ここにある一片は棒か枝で記したのではないかと思われるような跡を見せている。

その連続する凹みは記号による太古からの通信にも思える。一万五千年前に始まった文化からの信号。

 

人の痕跡は人そのものよりも長生きする。

 

流行の海辺でのBBQや、人という生物のどんちゃん騒ぎの欠片が、千年未来の人類に大きな誤解と感嘆をもって発見されることを願う。

その頃の人類は定住地としての地球を手放して別の惑星に住み、古典としてギリシャ神話の代わりにスターウォーズを、エピソードⅡを鑑賞しているかもしれない。

 

土を捏ねれば土器の一部が、ロケットを飛ばせばその破片が痕跡として残る。失敗や成功、正誤といった時流で判断する些細な結論ではなく、燃え上がる生命の痕跡がそこに欠片する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京大学の学術標本を展示した博物館がセンス良過ぎだった

完全敗北です。

東京大学が1877年から収集してきた標本や資料を展示した無料の博物館に行ってきました。

彼の名前は・・

インターメディアテク

 

 

東京駅の目の前、かつて郵便局があった場所に彼はいるよ。

東京大学が百四十年にわたって集めた学術品を展示してるの。

例えばはキリンの骨とか鯨の骨を組み立てたもの、それから蛙の骨一覧、石や鉱石の数々、動植物の剥製、ホルマリン漬け。巨大な珊瑚。それから民俗学的なお面とか装飾品、文書、古い映写機もある。

もちろん、国立博物館とか大英博物館とかから比べれば規模も小さいし品物も少ないんだけど、なにがいいって・・

 

センスがいい!

 

東大って頭が良いのは分かるんだけど、センスがこんなにもいいとはビックリ。展示の仕方がカッコ良い。説明のある展示物以外に、突然天上の壁から大っきなワニが這い降りていたり、得体のしれない巨大な骨がポツンとあったりする。

古いアンティークのガラスドームも素敵だし、剥製を保持しておく真鍮製の器具もいい。所々にある内装用の本棚とかガラスケース、什器もいいんだ。いや什器がとってもいいんだ。

バランスがいいのね。

 

エミールさんの什器

 

 

 

 

什器の一部はフランスの実業家で東洋美術の蒐集家でもあったエミール・エティエンヌ・ギメ氏(Émile Étienne Guimet 1836-1918)の寄贈によるんですと。どうりで、古くて良いガラスの展示ケースが揃っているわけだ。

自分の蒐集した東洋の美術品を収めるために、ギメさんがアジア洋式で作らせたガラスケース。それが百年以上の刻を経て、アジアの一国に里帰り。そこへ、今度は東京大学が美術ではなく百四十年前から蓄えてきた学術標本を収めたというんだから素敵じゃないの。

丸の内っていう都会のコンクリートのど真ん中に突如現れた「古ーい研究所」という雰囲気。そんなにだだっ広くはないけれど、一つずつじっくり見て行くと簡単に一時間くらいは過ぎてる。ホルマリン漬けの小さな植物とか最高だし。

写真は禁止らしいので映像はなしなんだけど、、イメージはこんな感じ。

 

 

 

まぁ、全然伝わらないよね。

 

 

 

 

 

現地に行ってみてよ無料だから。

無料だよ、後世の為の展示です。営利じゃないの。

やられちゃった感あるね、センスよくて頭ずば抜けてて、無料・・

負けです。降参します。ありがとう見せて下さって、だからまた行かせてちょーだい。

 

インターメディアテク

http://www.intermediatheque.jp/

オープン:11時から18時(入場は三十分前まで)

休館日:月曜(月祝の場合は翌日)

 

行き先を知る人

温められた潮風に無花果の葉が勢いを増している七月の終わり。

理由を決めずに何かを始めてみるには良さそうな季節。余り熟考すると暑さにやる気も萎えて来て、結局手を出さなくなってしまうけれど、逆に早起きでもすればまだ日の高くないうちは過ごし易い日もあり、湿気さえなければ全ては可能なのではないかという地中海の楽天的な気分を束の間味わうことができる。

その時間に何かを訳もなく始めてみる。例えばこの文はそういう感じで午前に書き始めた。行く先は未だ見えない。

 

船長に憧れる。

 

船長というのは行き先を知っているか、または知っているようなそぶりを見せて船員達を安心させたり勇気づけたりするのではないだろうかと思って。

 

 

十年以上前に沖縄の石垣島からフェリーに乗って日帰りで西表島へ渡った。高速船は半分浮いたようにして海上を進んだ。到着すると山へ入って行きカヤックに乗った記憶がある。何かの植物の種が水面に矢尻のように突き刺さっていく季節だった。山猫を見たという記憶はない。

カヤックをひとしきり終えると、海岸へ戻った。

帰りの船までにはまだ時間があったので、今度はシュノーケリングをする。今思うと随分活動的だな。体力があったのだろう。

海辺の小さな受付事務所に入ると真っ黒に日焼けした現地の少年がこちらを向いた。彼は色の濃さだけでなく頭髪もくるくるとした天然のくせ毛で、目はぱっちりとして少し緑がかったエキゾチックな顔立ちをしていた。

そしてその奥に一層年期の入った皮膚、皺のよった黒くて分厚い胸板の白髪の主人がいて、受付を済ませると小さなボートへ乗り込んだ。主人は船上で自分の胸元についたバッチを指差して読めという。顔出ちは大方の関東人とは違い、黒い皮膚と白髪が印象的でむしろインドネシアのバリ島よりさらに先へ進んだロンボク島、そこのササック人の古老のような雰囲気がある。

その主人が海の厳しさを物語るかのような真顔でこちらを睨み、胸に付けたバッチを読めという。胸には英語で「captain」と書かれたバッジがあるので恐る恐る声に出して読んでみる。

 

「きゃ、キャプテン?」

 

すると、主人は顔を横に振り「NO!」といってそのバッジをぺろっと裏返しにする。裏返した場所には日本語で漢字が二文字書かれていて主人はそれを指差しながら我々に宣言した。

 

 

 

「船長!」

 

 

 

「せんちょう!」そう発言したあとに船長は今までの厳しい顔を解いて、真剣な雰囲気が冗談であったことを明かすように笑った。実に手の込んだやり方だった。ボートの上で爆笑すると同時にエンジンがスタートし船は沖へと出航した。

 

船長への憧れ。船長はそうでなくちゃいけない。いつでも憧れと畏怖の対象でなければならない。

 

それで、この文、このブログは一体どこへ向かっているのか。

それは舵の代わりにキーボードを叩く主人にさえも分からないけれど、仮に座礁し、文字に溺れてしまったとしても落ち着いて欲しい。少なくとも呼吸はできることを思い出して。